ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2010年9月24日金曜日

知的共産主義のススメ

ネパールの都市部では子供の教育熱が過熱しており、幼児からの詰め込み教育が普及しつつある。私立学校では暗記を中心とした詰め込み教育から音楽等の教養を取り入れた教育にシフトしつつあるが、バランスのとれた知識や教養を身につけるには本や教養番組等の情報量が絶対的に不足しているように感じる。

以前、ブログの教育の原点で、「自分の思考・感性・知性は自分だけのものだと考えている人は多いが、自我とは己一人で作り上げたものでは決してない。先人から受け継いだ、言語・知識・文化等の土台があり、自分を取り巻く多くの人々との有機的な関係を経て、初めて成り立つものである。」と書いた事がある。
僕は、知的所有権を後進国に押し付けるのはアンフェアで非合理的だと考えている。知性の本質が知識の統合し環境・状況に応じて応用する力だとするなら、知識の絶対量が少ない後進国の人達はビジネスや技術開発競争において先進国の人達に対抗し得ない。現在進んでいる世界経済のグローバル化は格差社会を助長する根源的な欠陥を抱えたシステムだと僕は思っている。その体制を維持するために行われた様々な施策が多くの矛盾と歪みを生み、世界経済に深刻な危機を招いている。経済システムという土台が傾いている上に家(社会)を築いてもきちんとした家は建てられない。社会そのものが経済的な格差を助長し、その格差を子供や民族に受け継がせていくのなら、その様な社会は大多数の人々に幸福をもたらしはしないだろう。己のエゴのみに執着し、地球の環境を汚染し続けるのであれば、その先にあるものは破滅しかない。

僕は人間とは想いや魂そして文化を引き継ぐことの出来る動物だと思っている。知識や文化は共有することによって減るものではない。多くの人々が共有することによってより多くの人達を豊かにし、そしてより多くの改善や発展を経、受け継がれてゆくものである。
衣食足りて礼節を知る。経済的に豊かになった先進国が進むべき道は、物質的な生産力や経済力を追い求めることではなく、心の豊かさ-人間として自分自身の知性や感性を磨き、己の本質や為すべきことを思索・探求することを求めるべきではないであろうか?
未だに多くの人達が飢えと貧困に苦しむ後進国では、経済の発展を阻む要因を解明し、その文化的な要因を埋める必要性をすべての国民が理解し実践すること。
後進国の経済発展を阻害する要因参照
その為には人間性を重視した教育、そして、援助ではなく技術支援と投資こそが必要なのではないかと思っている。
僕は世界が自由で平等だなどとは考えていないが、人間がより自由に生きられる社会、本人の努力によって未来を切り開く事が出来る社会に近づけることは大切なことだと考えている。
グローバル経済に替わる新たな経済の仕組みを創り上げなければならない時期が近づいているように感じられる。

2010年8月27日金曜日

自分探しの旅

ネパールにいると、個性的な人間に出会う確率が高いように思える。世界や社会に対して自分に出来ることをしたいという人。自分の知らない世界を体験することで見識を高めようとする人。ヒマラヤを初めとする美しい自然を愛し、安らぎを求め、あるいは自分の壁に挑戦をする人。そして、何かの壁にぶつかり、あるいは自分の生きる意味を求め、自分探しの旅を続ける人。

僕自身は日本という社会の中で自分の生きる意味を見出す事ができず、残りの人生を教育にかけてみようと考え、ネパールに訪れた人間だ。ある意味、僕自身、自分探しの旅を続けた結果ネパールという地に辿り着いたとも言える。
しかし僕は、未知の国々や文化を知ることによって自分の本質や人生の意味を知る事が出来るとは考えていない。人間という生き物を知ること、自分の本質を知ることは、地球や人類そして自分自身の歴史の中で人間同士の営みを客観的に分析することにより可能になるのでは無いかと思う。それは自分の望む幻想であってはならない。現実を直視する覚悟を持って、初めて己の進むべき道は見えてくるのだと思う。

僕は人間とは何か。魂とは何か。生きるということの意味。これまでの人生で自分なりの答えは見つけたと考えている。

僕は人間は所詮動物だと考えている。うまい物を食べたいと思うことも、安全で快適な生活をしたいと望むことも、きれいになりたい、強くなりたいと思うこと、魅力的な異性に好感をもたれたいと思うことも動物としての本能である。それらは動物として当たり前の欲求であるが、人間は社会的な動物であるが故に本能が命じる欲求のみにしたがっていたのでは社会はうまく機能しない。
人間は技術を生み出し言葉を話す事で高度な協力を実現した。それにより他の動物より優位に立つ事ができ、文字を生み出し社会を作ることで、子孫に文化を伝え、発展する事ができたのだ。
「我思うゆえに我あり」 当時高校生だった自分はデカルトの言葉を深く考えることも無く受け入れていた。しかし我とは一体何なのか?
人間は言語を介さずに高度な論理的思考を展開する事ができない。そして、言語・技術・文化は数百億もの先人達が何万年もの歳月をかけ研鑽し、練磨し、発展させてきたものだ。その基盤を無くして決して人は高度な論理的思考を為し得ない。自我とは、両親や教師、多くの書物や人間との交流の中で生まれた、ある種の集合意識といってよい。人間とは、想いや文化を、そして魂を受け継ぐ動物であると言う事ができる。しかし、同じ経験や教育を受けても人は同じ人間にはならない。それらをどう受け止め、どう解釈するかによって為り人は違ってくる。その人間としての在り方の形成に最も大きな影響を与えるのが幼児期の環境であり、そして人としてあり方に対する自覚と矜持だと思う。

僕は人間は動物であると思う。しかし、ただの動物のまま終わってはいけないと思う。人は想いを文化を、そして魂を受け継ぐ動物であるのだから。
人は一人では何も大した事はできない。そして、人と人の出会いなど単なる偶然に過ぎない。しかし、人の想いはただの偶然を運命に変える事ができる。僕は、己の想像・想い・そして意思が未来を紡ぐ事をも可能とするのだと信じたい。
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」 これは維新の志士を導いた一人とされる吉田松陰の辞世の句である。
世界の歴史を客観的に見て、江戸時代末期の日本は欧米の植民地になる可能性が極めて高かった。そして、世界のほとんどの国は帝国主義に染まった欧米列強の植民地と化し、その世界は現在のそれと大きく異なった歴史をたどった可能性は極めて高い。その歴史を覆したのが、坂本龍馬や吉田松陰を初めとする維新の志士達である。(この歴史をここで述べるには長すぎるので知らない人は自分で調べてください。)

今、人間社会は未曾有の危機にある。グローバル経済はシステムとしての破綻を来たし、人類は未だ進むべき未来を思い描けていない。人口爆発はようやく停滞の兆しを見せたが、気候大変動は避けられないであろう。これからますます激しくなる格差社会は社会的弱者を破滅に追いやる。一体何億、何十億の人達が犠牲になるのであろうか?後進国で餓死・病死している人達の数は、第一次・第二次世界大戦の犠牲者と比較にならないほどの人数に達している。世界はこれからもこのような社会的弱者から目をそらし続けるのであろうか?

人の意思は時として世界をも大きく動かす。その流れのきっかけを与えるのは一個人の想いであることも少なくは無いが、そのきっかけを社会の潮流に変えるのは当たり前の日常を当たり前に生きる人々の意思である。世界への関心と生きる意志こそがこの世界を良い流れへと導く。どうか無関心というあきらめのもとに、生きる意志を失わないでもらいたい。

2010年8月13日金曜日

ネパール語

最近はできる限り時間を作ってネパール語を覚えることにしている。
ラクサールの孤児院を訪れた際、ネパールに来て1年余りのJICA日本人スタッフがかなり流暢なネパール語を話していたのが直接のきっかけだ。僕の周りにはネパールに来て結構長い時間を過ごしていてもネパール語が話せない人がかなり多い。僕自身、英語を覚えるのにかかった時間と現在の英語力レベルを考えて、これからネパール語を覚えるのは無理だろうと最初からあきらめていた節がある。しかし、彼のブログを読んで一日十時間以上にわたって何ヶ月も勉強していたという件を読み、己の覚悟の甘さを実感した。しばらくブログを更新していなかったのは時間があればネパール語を覚えていたからで、これから先も更新の頻度は少なくなると思う。
このように書いていればそれなりに話せるようになったと勘違いする人も出てくるかもしれないが、僕のネパール語のレベルは費やした時間に比べ、大して上達していない。英語やフランス語のアルファベットを覚えるのに、それほど時間を費やした覚えは無いのだが、ネパール語は初歩的な読み書きが結構難しい。おまけにきちんとした参考書を日本から持ってこなかった。・・・今更ながら日本での準備を怠ったことを後悔している。
取っ掛かりを掴めば、ネパール語は日本語と文法が似ているので上達は早いと言われているが、これがなかなかに難しい。これはあくまで私見であるが、ネパール語は日本語のように文字や発音の簡略化、外来語の取り込みや整理・体系化を怠っているように見受けられる。PCでの入力もWindowsやフォントにバグがあるものが多く、フォントによって出せない文字が結構ある。僕の知っているネパール人でネパール語を普通にPCで使っている人は誰もいない。このままではネパール語は文化的に衰退の道を歩むのではないかと感じているのは僕だけであろうか?私立学校での授業は英語で行われ、携帯の表示やメールもすべて英語である。インターネットでもネパール語に限らず南アジアやアフリカ諸国の言語は非常に少ないように思われる。
僕は文化には多様性が必要だと考えている人間である。あまりに母数が少ない少数民族の言語や文化は統合・吸収されていくのは歴史的な必然だと思うが、自国の言語や文化に誇りと愛情を持つのであれば、単に学校教育を自国語で行うといった単純なことではなく、言語そのものに改良を加え、自国文化の長所を見直し外国文化の長所と融合させ普及に努めなければグローバル化という歴史の流れの中に消えてゆくだろう。世界中の人達が単一言語を話し、ファーストフードやコンビニエンスストアが立ち並ぶ社会は合理的ではあっても面白みにかけると思うのは僕の個人的な感傷であろうか?

2010年7月24日土曜日

ライフサイエンス

近年はES細胞やiPS細胞、細胞の寿命を決めるテロメアの研究も進み、人間の寿命が大幅に延びる可能性が高まっている。何十年後かの未来には不老長寿なども実現する可能性はある。しかし、それは本当に人類に幸福をもたらすものであろうか?
単細胞生物の多くには寿命が無い。栄養と生存環境が整っており、外敵による脅威がなければ永い時を生き続ける。生命に寿命という概念が生まれたのは、およそ15億年前に有性生殖による子孫が生み出され、生命の多様化が生存競争を激化したことによる必然だと言われている。
有性生殖が生まれる前は、細胞が持つDNAの変異とそれに伴う生存競争のみが、ゆるやかな進化を司っていた。しかし、有性生殖が生まれ生命の進化と多様性が爆発的に進み、現代に至る。
生命進化の歴史から読み取れる原則は多様性と適者生存である。人類は地球上でかつて無い繁栄の時代を築いたが、それは他の生命や自然を絶滅や破壊に追いやって良い訳ではない。地球の生命と自然は、極めて長いサイクルで連鎖と循環をしている。数億年にわたって石油や石炭として固定化した炭素資源を百年程度の短期間で使い尽くせば自然のバランスは崩れるに決まっているし、爆発的な人口増加と都市化や工業化は他の生態系を歪める巨大な圧力となる。
そして、これまでに世界で推し進められているグローバル化は、貧富の経済格差を二極化する。世界を押し潰すまでに増加した人類全員に不老長寿の技術が使われることは有り得ないし、強欲で奸智に長けた一部のエリートのみがその様な長命を得たとき、この世界はどのような事が起きるのであろうか?僕にはそれがとてもおぞましいものに思えてならない。
衣食足りて礼節を知るという諺があるが、現代の資本家達の欲望には限度がない。昔見た映画の一節に「お金は肥料のようなもの」という言葉が出てきたことを覚えている。適切な場所に適切な投資や出費をすることで社会は健全に潤う。お金を独占し、豪華な生活や権力を求める人達が増えると社会は腐敗する。そして彼らは自らを高貴なる者などと名乗り労働者を見下し、如何に低い賃金で酷使するかに知恵を絞ることを知性などと思い違いをする。
僕は人間が老い、死を迎えるのは自然なことだと思っている。人間は肉体だけではなく、精神も老いる。僕の両親は二人とも既に他界しているが、僕は自分の母親が老い、死を迎える過程を共に過ごし看取ることで初めて老いというものを実感した。
僕には現代の社会は間違った方向に進んでいるように思えてならない。国際社会での地域格差はますます広がっているし、先進国内でもグローバル化のため、労働者の賃金切り下げや失業率の上昇など問題は深刻化している。政府の債務超過による通貨危機も深刻だ。後進国への金銭的援助は本当に援助が必要な人達の手に届かず、権力者や汚職をする人、金銭的な援助を受けることを目的としたNGOの人件費に消えてゆく。その上、援助を必要としている貧困国での人口増加は止まらず、貧困者の数はますます増えてゆく。
バイオテクノロジーによる不老長寿は、世界で進んでいる格差社会を決定付け、自然との調和や共生を断ち切る、吸血鬼による世界支配のような恐ろしい技術に思えてならない。

2010年7月21日水曜日

カトマンズ市のゴミ処理問題4

カトマンズ市のゴミ処理問題について、市長代理が入院したとかの話で予算が下りなくなり、市の職員は会議に出てこなくなった。
以前、カトマンズ市の腐れ職員はやはりクズだったとブログに記述した事について、知人から注意を受けたが、僕はあの発言を訂正するつもりは無い。
約束は守る。嘘はつかない。自分の仕事には責任を持つ。-人間としてやるべき事をきちんとやってこそ人間としての尊厳は保たれる。約束を4回もすっぽかし、予算書と計画書の提出を1ヶ月以上遅らせて仕事を投げ出してしまった人間に対し、僕は侮蔑の感情を抑える理由を見出せない。
とはいえ、そのおかげで計画を進めやすくなったことには素直に感謝している。市の予算が下りなくとも参加したいと言ってくれた学校は高いモチベーションを持った人達であろうし、計画の舵取りをこちらで取れるようになったこともありがたい。仕事は増えたがこの国を良くする為の努力であるなら苦にはならない。
プラスティックゴミ等の再生工場の見学と指導。ゴミ分別のための手順書作成。コンポスト作成のための手順書作りなどやることは山ほどあるが、ようやくネパールに来て仕事が動き始めたという実感が持てる。一番重要な点は、いかにして子供たちの関心をゴミ処理問題に向け、活動の輪をカトマンズ全市に広めていくかだ。
ある私立学校の協力を得、モデル校として計画を実施することになった。
以下は、その中心となる子供達を集め、組織化するためのステートメントだ。
少し長くなるが読んでみて欲しい。

インバートメント・アンバサダー募集

ネパールはGDPが世界でもっとも少ない最貧国の一つです。けれどもネパールの人達は豊かな心を持っています。それは雄大な自然と動物たちと共に生きる優しい心を持っているからです。この雄大で美しい自然は、世界に誇れる私達の財産です。その美しい自然が、今このカトマンズで失われつつあります。町はゴミで溢れ、多くの車や工場が出す廃棄物が大気や河を汚染しています。
このままゴミ問題を放置すると観光客は減少し、輸出産業の少ないネパールは貧困から抜け出す事ができないでしょう。中国とインドという近い将来世界を動かす超大国に挟まれた私たちは、様々な政治的干渉に苦しむ事となるでしょう。
我々は東洋のスイスを目指すべきだと思うのです。カトマンズを美しい町へと変え、外国人が長期的に生活できる観光都市を目指します。旅行者を増やすことで、外貨を獲得し生活を豊かにします。世界中の国々と仲良くすることによって政治的な干渉から中立を守ります。平和と豊かな自然そして何よりも優しい心を失うことなく、我々子供たちの手によって豊かな未来を築きたいのです。

カトマンズのゴミ問題を解決し、きれいな町へ

ゴミの分別
1.再生可能なゴミを資源として再利用しましょう。
2.生ゴミを肥料に変え、花と緑に溢れる美しい町にしましょう。
3.カトマンズの自然を汚染する問題をみんなで調べ、みんなで解決の方法を考えましょう。

私達の町は私達の手で守らなければなりません。
あなたもこの美しい自然を守る‘インバートメント・アンバサダー’に参加しませんか?

スモーキーマウンテンとスカベンジャー
スモーキー・マウンテン(Smokey Mountain)とは、フィリピンマニラ市北方に位置するスラム街のことです。かつては海岸線に面した一漁村でしたが、1954年に焼却されないゴミの投棄場になりました。それ以来マニラ首都圏からで出たごみが大量に運び込まれ、ゴミの中から廃品回収を行い僅かな日銭を稼ぐ貧民(スカベンジャー)が住み着くようになり、急速にスラム化しました。それら廃棄物の中には人体に良くない物質も多く、病気の人や奇形児の出産率も高まっています。カトマンズ市でもこのまま適切なゴミ処理対策が行われなければ、近い将来同様の惨状を迎えることになります。

Recruitment of Invertment Ambassador

Nepal is one of the world's poorest countries in GDP. But the people of Nepal have a rich spirit and warm heart to co-exist together lively with animals in magnificient nature. This magnificent natural beauty is the fortune that we can be proud of in the world. But now its natural beauty is becoming lost in this Kathmandu. The town is overflowed with garbage, river are polluted in river by factories and air by a lot of cars significantly.
If garbage problems left as it is, tourists visit will be decreased and Nepal can never get out of poverty economy under the current less export-oriented industries. We will suffer from variety of political interference between the world superpower countries in the near future especially China and India.
I think we should aim to Swiss at the east of orient. We can change Kathmandu into a beautiful city, and aims for tourist city in which foreigners live in long-term. As the number of travelers increase, much foreign currency will be earn and people’s life can be enrich. We shall protect from political interference with political neutrality and friendship with countries around the world. Without losing peace, nature, and above all protect the gentle heart, building a wealthy future by children’s own hand.

Let’s resolve Kathmandu’s garbage problem and make a beautiful town

Separation of garbage
1. Let’s re-use the wastes as renewable resources.
2. Let’s turn garbage into compost, and let’s make a beautiful city that full of greenry and flowers.
3. Let’s find out the pollution problems of Kathmandu, and think about how to resolve together.

Our city must be preserved by ourselves.
Why don’t you also participate in 'Invertment Ambassador’ to protect our beautiful nature?

英語は苦手なので、今回はJICAのシニアスタッフとオフィスのスタッフに手伝ってもらった。短い文なので何とかなったが、ネパール語と英語の必要性を認識し、真剣に勉強に取り組むことにした。

2010年7月15日木曜日

プチベジタリアン

ネパールの肉屋では結構ショッキングな光景を目にする事がある。家畜の首が棚に並んでいたり、これから屠殺されるであろうヤギが店の前に繋がれていたりする。ダンパスの村に行った際には歓迎の証に、元気に餌をついばんでいる鶏を捕まえて、我々のために腕を奮って御馳走をしてくれた事もあった。
しかし、実際のところ先進国での動物虐待はネパールの比ではない。ネパールではヤギや鶏が人間と同じ場所で生活をしているが、先進国では人の目に触れないところで虐待と虐殺が行われているだけだ。
僕は以前、犬を飼っていた事があるので、動物にも豊かな感情があることを知っている。そのため、アグリビジネスが企業利益追求のため、家畜を狭い畜舎に閉じ込めて、ストレスをためないよう畜舎内は薄暗くし、薬漬けにしている業者が多いと聞いていたとき、あまりのえげつなさに気分が悪くなったのを覚えている。そして、最近では高級和牛のほとんどが品種改良をしたクローン牛だと聞いたとき、人間のおぞましさに言葉を失った。お金のため、ここまで非道な事をする生き物を僕は他に知らない。悪魔という言葉はまさに人間のためにあるのではないかと疑ったものだ。
だからと言って僕は捕鯨反対や動物保護を訴える気はないし、ベジタリアンになる気もない。ただ、肉類をたくさん食べると、腸内細菌叢でウェルシュ菌等、体に悪い物質を生成バクテリアが増え体に良くないことを知り、健康を損なってまで肉料理を食べる必要も無いと思っているだけだ。
ただ、日本では新鮮な魚料理が食べられた。程度の差に過ぎないが、牛乳や卵、魚位なら僕の良心はそれほど痛まない。しょせん世の中は弱肉強食だと思っているし、人間が生きていく以上、清廉潔白ではいられないと思っている。そして成長期の子供達には肉料理も必要なものだと思っている。
そして意外に思われるかもしれないが、ベジタリアンというのは一般に短命である。また、運動能力についてもバランスの良い食生活を送っている人々に比べ劣る事が多い。タンパク質の量もさることながら、健康な生活を送る充分なミネラルが補給できないのだ。
日本で菜食主義を貫いている人は、是非この点だけは気をつけて欲しい。僕は足りないミネラルはシラジットというアユールヴェーダ系のサプリメントで補っている。シラジットが万能の霊薬だとか、精力剤だとか言う人がいるが、これは実際に服用している体験者として嘘だと思う。成分はヒマラヤの高度3000~5000mの断崖絶壁のところから採取される天然の腐植土と植物性有機物の混合物で豊富なミネラルを含む。こんなものに若返りだの精力剤だのという効果があるはずがない。しかし、ベジタリアンの多いネパールやインドの人達には大きな効果があったに違いない。
アユールヴェーダには非科学的で納得できない部分もあるが、西洋医学にはない健康維持のために必要な古代からの知恵が伝えられえいるように思う。西欧文化の合理主義は病気になった後の治療には極めて効果的だが、人間が健康的で幸せに生きるという点についてはあまり考慮がなされて来なかった。
会社の為・社会の為の仕事といっても、人間にはやってはいけない事や踏み外してはいけない一線があると思う。人間が人間らしく生きるために、悠久の時を自然と共生していくために、今一度人間の生き方というものについて考え直してみたい。

2010年7月14日水曜日

気候大変動

気候大変動は、日本語では地球温暖化といわれる事が多い。大気中の二酸化炭素濃度が増えることによる温室効果により、数十年~百年後の地球は今より気温が数度上昇するかもしれないという学説である。様々な学説があり、中には地球が氷河期に突入するという学説まであるが、僕は地球温暖化が起きるであろうと予測している。
経済危機と同様にあらかじめ対処法を準備しておけば、日本や欧米のような先進国はある程度、被害を抑える事ができるだろう。しかし、アフリカやバングラディシュのような熱帯・亜熱帯地帯の貧困国はどうなるのであろうか?政府による出産制限もなく、人口増加は地球上で自然と共生できる限界を大幅に超えている。人間が地上で物質的に豊かな生活をするということは、自然を大きく歪めることと同義である。その反動として地球の気候は大規模な異変を起こし、その変動は後進国に住む何億・何十億と人達を貧困そして死に追いやる。

人間は地球に巣食う寄生虫だと考える人もいる。僕自身、グローバル化だのFXだのと物質主義・拝金主義に目を血走らせている人達を見いていると、胸が押しつぶされそうな暗い気持ちになる。打算と保身と世間体に気を配ることで手一杯の人達。そんな人達のエゴが、地球を・力なき人々を・儚き生き物たちを押しつぶす。
今の地球の環境と国際経済の動向を見る限り、希望的な未来は見出せない。人間はそれほどまでにおろかな生き物なのであろうか?結局のところ人間は破局的な困難・試練に遭遇しない限り、自らの行いを省み団結することはないのかもしれない。
しかし、僕はそうでは無いと信じたい。明るい未来への繋がる子供達をこのネパールで育てたいのだ。
永い地球の歴史上、生命活動に激変をもたらす環境の変化は何度もあった。二酸化炭素やメタンガスの温室効果による猛暑や、大気の成分が光合成により二酸化炭素から酸素へと変化したこと。全球凍結や氷河期。しかし、生命はそういった絶滅の危機を乗り越えることにより進化し、海から淡水へ、そして陸地や空に生存領域を広げて行った。
僕は、人類は宇宙で生活・活動することのできる唯一の種であると考えている。しかし、人類が初めて宇宙に出てから数十年の時が過ぎたが、未だ地球の大気と重力の壁は厚く、宇宙での恒常的な生活は遥か彼方にある。
客観的に見て、人間は宇宙という無重力空間で活動するのに他のどの生物よりも適合した形態をしている。月や小惑星から資源を確保し、遠心力を使った人口重力を持つスペースコロニーを創るための原案もできている。大量の資源と人類を宇宙に送り出す方法も僕自身の頭の中では実現可能な領域に達している。僕自身は、人類は宇宙に進出することで新たな進化を迎えうる、地球(宇宙)の歴史的にみて進化の分岐点に立つ貴重な種だと信じたい。
人類は地球にとっての寄生虫・もしくは地上の生命を絶滅へと誘う悪魔なのか、魚類や哺乳類が進化したように新たに宇宙に適応する事ができうる種になるのか?今はまだ誰にもわからない。

2010年7月1日木曜日

貧困の現実

先日流暢な英語を話す子供連れの女性に騙された。
靴磨きの仕事をしていたが、道具の箱を盗まれ仕事が出来ないという。
デリーから来たという話だったが、赤ん坊のミルクを買って欲しいと店に連れて行かれ、
1000ルピーもの粉ミルクを買わされそうになった。
ネパールで1000ルピーというのはかなりの額だ。
ふざけるな。君は働くべきだという話に戻り、
仕事が見つからない理由やだらしない両親の話、
かなりの数のインド人がカトマンズに来ているという話になった。
すべてを信じたわけではないが、
インドやカトマンズでの彼女らの生活について色々と聞くことが出来たので、
結局400ルピーの粉ミルクを買ってあげ、それで別れることにした。

ストリートチルドレンの話も友達の通訳を通して聞いてみた事があるが、
明らかに同情を引くための作り話で、本当の話は聞き出せなかった。
この町に住んでいる人の話では、都会から帰ってきた若者たちのファッションや携帯電話を見て、
カトマンズに憧れ、田舎から家出してきた子も多いという。
町にはいくつかの子供たちのグループとリーダーが居り、
物乞いをしたお金でチョコレートやシンナーの味を覚えた子供は
保護施設に入れても脱走してしまうという話は何度か聞いた事がある。
警官が定期的にそういう子供たちを施設に入れているので、
ネパール観光年の来年にはほとんどの子供が施設に収容されるといううわさもある。

僕が胸を痛めたのは、腕や足のない物乞いをしている子供だ。
きちんとした言葉は話せなかったが、どうやらインドから連れて来られたらしかった。
ネパールにはインドから来た物乞いがかなりの数いる。
交通事故等で本当に手足を失った人もいるのだろうが、
あきらかに物乞いをさせるために攫われ、手足を切り落とされた子供も実際にいる。
警察に行くべきではと友人に相談したが、警察はこんな事件に関わらないし、
この子供が施設に保護された場合、別の子供が同じ目にあう事になるといわれた。

他にもこの町に住んでいる色々な人たちやNGO経験者にも話を聞いている。
NGOのほとんどが失敗していることは以前から聞いていたが、
実際に失敗した例や体験を聞き文化の違いを改めて実感した。

NGOが本気でネパールの差別や貧困を解決しようとしたとき、
この国の政府と法律は邪魔にしかならない。
実際にNGOの名を借りて人身売買に近いことや幼児虐待をしている組織もあるようだが、
本当の理由は、差別と貧困に苦しむ子供を餌に、外国からの援助金を
上級カーストの人達が掠め取る仕組みではないかと思えてくる。

法律上は
①外国のNGOは現地のカウンターパートを介さなければ直接活動できない。
②年間10万USドル以上の年間活動費を支出している団体でなければINGOとして一般協定を結べない。(現地駐在員の)給与を除く)
③INGOとして一般協定を結んでいなければノンツアリストビサは取得できない
④旅行ビサを除くビサの取得には多くの時間と手間がかかる(それらを比較的簡単に取得するためには賄賂が必要)

その事が原因でよくあるトラブルは
①きちんとした会計報告が上がって来ず、現地経理担当者が経費を着服していた。(ネパールでは読み書きの出来ない人が多いので、きちんとした領収証がもらえない事がある。)
②海外NGOが予算を支援している期間のみ事業が行われ、その期間が終われば自分たちで維持をすることなく支援活動を中止する。
③学校や病院を建設し寄贈したが、運営がうまく行かず、放置された。
④重要な備品等を送付したが現地に届かなかった。
⑤外国のNGOは土地を保有できないので、カウンターパートを介して土地を購入する必要があるが、建物の所有権は土地所有者にあるので、知らない間に建物ごと土地を売却された。

冷静に判断して、ネパールでNGO活動などするべきではないと思う。
政府の方針に従った正規の活動をしている限り、有効に活かされる援助金はほんの一部にしかならないし、ネパールより悲惨な生活をしている国はアフリカ等には少なくない。
そもそもNGO活動などというものが豊かな生活を送っている人間の驕りなのではないかと思うこともある。

それでも誰かがこの現実を変えようとしない限り、この国を含む世界の貧困は変わらない。
それは金銭的な援助であってはいけない気がする。
技術支援と投資、そしてこの救いのない現実に立ち向かう意思と覚悟ではないかと僕は思う。

2010年6月29日火曜日

コミュニティーと文化

先日、同じホテルに泊まっているJICAシニアボランティアの女性と話しをした。語学力については現地に4年いたというだけあって、英語もネパール語もスムーズに話していた。現地の事情にも詳しく、参考になる話も多かった。

一番参考になった話はコミュニティーについての話だった。ネパールの人達は親族やコミュニティーの関係を大切にする。僕が理想と考えているような教育を孤児や貧困に苦しむ母子に対して行うことは、その人達をネパールのコミュニティーから断ち切ることだと指摘された。全く考えたことがなかった訳ではないが、僕がやろうとしていることは新しいコミュニティーを創ろうとしていることだと改めて自覚させられた。しかも、他国に・・・。

その子供たちの将来について色々と考えてきたつもりであったが、その子の母親については・・・? 自分の子供が外国語を話し、自分の家族以外と家族のように親密な会話をしていればどう感じるであろうか?ネパール語で教育をしたとしても、ネパールには様々な民族とカーストがある。その辺りへの配慮を欠くと、母親がそれまで築いてきた人間関係のすべてを壊してしまいかねない。
いくら本やインターネットで調べたつもりでも、僕の浅い知識と経験では想像しきれないことなどいくらでもある。だからといって何も行動しないとことは自分のアイデンティティーの放棄だと僕は思う。色々と調べ、考え、行動し、そして良くないことは正して行かなければならない。

僕はネパールの文化を大切にしたいと考えているが、そのすべてを肯定するつもりは無い。明治維新以降、そして第二次世界大戦以降の日本文化の変革は世界の歴史の中でも最も大きな変化だったと思われる。しかし、我々は日本人としての文化を昔とは違ったものではあれ継承している。江戸時代や弥生時代の昔に生まれた方が良かったと考えたことは無い。

人間が赤ん坊から大人になる過程で、様々な人々との関係の中、色々な経験や知識を得て成長していくように、文化も様々な異文化と接触し変化していくのであろう。それは決して悪いことではなく、それぞれの文化の独自性を保ちながらも良くない伝統を断ち切り、合理的な思想を取り入れて変わってゆくことは文化の成熟に必要なことだと考える。僕は生命進化の原則の一つが多様性であるように、文化にも多様性は必要だと考えている。文化の変容や成熟は必要なことであっても、それは決して情報統制や侵略戦争のような文化の破壊や強制であってはいけないと思う。

僕のやろうとしていることは独善による押し付けではないかと考えさせられることがある。だからと言って止めるつもりはない。差別と貧困の中で失われている命を哀しく思う心は人間として当たり前のことだと思うし、差別や弾圧を知っていて何もしないのは加担しているのと同じことだと思うから。

2010年6月23日水曜日

カトマンズ市のゴミ処理問題3

カトマンズ市の職員はやはり仕事に関する責任感を全く持っていない人だった。生ゴミの堆肥化(インバートメント)については充分な研究と実績があるというので現場の見学を申し出たが、多忙を理由に4回約束をすっぽかされた。学生達に指導をする我々が充分な知識と実務経験を持っていなければ話にならない。それなりの資料は作っていたが、実績を確認することは出来ず、信頼する気は毛頭無かった。
仕方が無いのでインターネットで資料を調べ、いくつかの方法を試行することにした。愛媛AI-2と米ぬかによる好気性微生物、そしてEM1号を日本から取り寄せ試してみることにした。
学生に堆肥を作る指導をする際には、学校のクラス単位でまずボカシを作る事から初め、それを各家庭に広める方法が現実的に思えた。こちらでボカシを作った上で私立校の寄宿舎の人達と堆肥を作ってみることにした。
しかし、予算と計画書を既に作っているはずの市の職員からは何の連絡もない。最低限の予算で作れる方法を検討する必要がある。各家庭にコンポスト用のバケツを配る資金など望むべくも無い。米ぬかや籾殻等を大量に入手する先も探さなければならない。正直な話こんな杜撰なプロジェクトをうまく行かせようと言うほうが無理な気がする。
市の職員と最初に仕事をした際、当てにならない味方は敵以上に脅威だと理事長に進言した記憶がある。本当に厄介なことになりそうだ。

2010年6月15日火曜日

情けは人のためならず

僕は事務所から一切お金をもらっていない。事務所にもPCやコピー機等充分な備品を購入するお金がない。よって、何らかの方法でお金を稼がねばならない。

現在のところシラジットというアユールヴェーダ系の健康食品?やNUPURという整髪剤?等、日本で手に入らないものを日本の知人の依頼で個人通信販売代行業をしている。テストケースなのでたいした利益は無い。しかし、反響が良いようなら、GoogleADWordsやAmazon等インターネットを通しての個人の通信販売代行も考えて行きたい。

フェアトレード等についてもいろいろ調べている。以前にも書いたように、僕はネパールのような国にこそ早期教育が必要だと思っている。差別と貧困に苦しんでいる母子家庭はネパールやインドでは非常に多い。子供に物乞いをさせている母親をカトマンズでは良く見かけるが、そういう生活が当たり前になってしまってからでは僕には手の施しようがない。そうなる前に技術と仕事、充分な栄養のある食事と誇りをもった生き方を取り戻してもらわねばならない。

そのために、日本からの技術支援や、母親が働いている時間に子供に日本語の絵本を読んであげたり、折り紙を教えてあげたりといったボランティアの支援が必要となる。
ネパールではアウトカーストの人達は自らをダリッド(壊された人達)と呼んでいる。虐げられ、日本では考えられない貧困の中で生活してきた人達では、誇りと自立心を持った子供を育てることなどほとんど不可能と言って良い。

日本で定年退職をした人達の選択肢の一つとして、快適な老人ホームに入ることより、恵まれない人達に文化を伝えることも考えてもらいたい。ネパールには日本のように充分な医療機関は無い。けれども病院のベットで薬漬けになって息を引き取るより、子供たちの笑顔に囲まれ短くとも生甲斐のある人生を送れるほうが僕には余程魅力的な生き方に感じられる。

日本の年金は破綻状態にあるとよく言われてる。今後、十年二十年後に今の年金額が支払われることはまず無いと思われる。けれどもネパールでなら月に3万円や5万円もあれば、それほど生活に困ることなく生きていける。そして、個人的にはネパールに必要なのは寄付金ではなく海外からの出資だと考えている。誇りと感謝の心を持つ人達が勤勉に働くようになればこの国はきっとすばらしい国になる。

僕は前にネパールにはアジアのスイスを目標にして欲しいと書いたことがある。日本人だけでなく、いろいろな先進国の人達が老後をこの国で過ごすようになれば、中国とインドという将来世界で最も力を持つであろう大国もネパールに無理な要求を出来なくなる。自国民が居住している以上、多くの先進国に庇って貰えると考えられるからである。この国が平和を維持するためには先進国の長期滞在を受け入れやすくすることが一番良い方法だと思うのである。

2010年6月14日月曜日

ネパールへの長期滞在の壁

こちらに来てから迷っていたことがある。NGO活動を行うに当たってネパールでの長期滞在VISAをどうやって取るかについてである。理事長の話では今までのカトマンズ事務所はすべて自分でVISAを取得していたらしい。
まず、このNGOで長期的にやって行けるのかという問題がある。僕の理想はあくまで自分を慕ってくれる身寄りのない子供たちのために小さな学校を創りたい。ただそれだけである。困っている人を助けてあげたいという気持ちは僕の中にもある。ネパールが抱えている人身売買や人種差別、貧困や都市インフラ等の問題を理事長が解決したいと考えているのならその手助けをしたいと本気で思っていた。しかし、うちの理事長は「我わが道を行く」タイプの人で僕の意見に耳を貸すことはほとんど無い。孤児院を建設するというプロジェクトは現実に動き出しているが、その中に僕の理想の教育に対する理念が組み入れられることは無い。そして、日本語が話せるスタッフ二人は理事長に命令された仕事をこなすことに手一杯で僕が彼らの力を借りることはほとんど出来ない。つまり、ネパール語が話せない僕はこの国に来て自分で誇りに思える仕事をしたことなどまだ一度も無いのだ。

そして、この国で長期滞在のVISAをとるのは簡単なことではない。ノンツアリストビサを取るのは非常に面倒な手続きが必要でかなりのお金もかかる。トリブヴァン大学付属のビソバサ日本語学校に入学するためのスタディービサ位ならそれほど苦労はしないが、せいぜい数年の滞在が限度だ。ネパリの女性と結婚するのが一番楽だが、長期滞在をするVISAを取得するために心の通い合っていない女性と結婚するなど論外だ。

正直な気持ちとして、ネパールの法律と公務員の勤務態度を見ているとネパールで困っている人達の力になってあげたいという気持ちが萎えて来る。世界中に困っている子供達がいる国などたくさんある。どうしてもネパールで活動をしなければならない理由は僕には無い。

事務所に任せていてもなかなか動き出しそうに無かったので、自分で出来るところまでやってみることにした。正規の続きでVISAが取れないなら、この国から去るだけだ。
僕がそう口にしたとき、日本語の話せるネパール人の友人が仕事を休んで手伝いに来てくれた。子供たちの力になりたいという夢を持ってネパールに来たなら簡単にあきらめないで欲しい。自分も出来る限り力になりますといってくれた。彼の両親は彼が7歳の時に亡くなっている。それ以降はおばさんの家で育てられ、日本にも留学している。もちろん、お金等は一切請求されていない。

カトマンズでは日本人を見るとお金目当てで近づいてくる人間も少なくないが、旅行雑誌で書かれているように危ない人達ばかりでは無い。パスポートを置き忘れたとき届けてくれた人。風邪で体調を崩したとき薬をくれた人、そして、今回のように自分の仕事を休んでまで力になってくれる人もいる。この国の素朴でやさしい人達のために、出来る限りのことをしてみようと思った。

2010年6月10日木曜日

ダンプス視察



所属するNGOが建設している学校を視察するためにダンプスに行った。ダンプスはカトマンズからポカラを経由した先にある、ヒマラヤの麓の町だ。ポカラまでの道は舗装がしっかりしておりバス7時間程度で着くが、そこからの道は車がジェットコースターに思えるほどの岩だらけの道のりだった。観光のゆとりは無かったが、3日間の日程は山岳民族の生活を知る上でも教育の実態を知る上でも僕には実りの多いものだった。
世界一周をしている日本人の知り合いも出来、最近のチベット情勢についての話を聞くことも出来た。
工事そのものは順調ということで、村人や子供たちにもたいそう歓迎してもらった。村の女性たちからも歓迎を受け43歳の僕がなんと13歳の女の子にお嫁さんにしてくださいと言われてしまった。もちろん冗談でまじめに受け取るととんでもないことになる。ネパリの女性はお祭り騒ぎのときなど陽気だが基本的に慎み深い。ダンプスのような田舎町で下手なことをすると冗談抜きで父親に殺されかねない。基本的に日本のNGOが信頼されているからお祭り騒ぎの冗談で済むのだ。

ダンプスの丘から見る朝のヒマラヤ山脈は少し雲に隠れてはいたが美しかった。トレッキングにネパールまでやってくる気持ちもすがすがしい空気と共に心の内に広がってきた。

工事内容は順調ということだったが、やはりネパールだと感じさせられるところばかりだった。2年前に法律で耐震基準が変わって頑丈になっているとの事だったが、この村の子供が一日の半分をこの校舎で過ごすのかと思うと正直胸が苦しくなる。確かに鉄筋コンクリートの鉄筋は太くなり、レンガの耐久性も増しているとの説明は理解できた。しかし、ネパールには70~100年に一度の割合で大きな地震が起きている。前回の地震から70年。カトマンズにある多くの建物に比べればかなりましだと感じたが、次に地震が起きたときには一体どれだけの人達が亡くなるのだろうか?
しかし、学校建設は普段貧しい農家をしている村人たちの経済を支える一面も持っている。時々はいろいろな工事をしていると思われる普通の村人に高度な建築技法など理解できるはずもない。外国の技術者が手取り足取り指導しても、本当の意味でこの国の為になるとは思えないし、そんな資金などどこにも無い。

たとえ遠回りでもこの学校建設は意味があるのだと納得するよりなかった。
ヒマラヤの写真を載せたかったのだが、工事現場の写真をたくさん撮ったため電池がなくなってしまった。
カトマンズのホテルに戻ってからは、また停電。雨季で客が減り自家発電を節約しているように思える。

2010年6月5日土曜日

世界経済グローバリゼーションの危機2

先日世界経済グローバリゼーションの危機1で書いたように、欧米の経済は危機的状況に陥り、日本の経済も深刻な打撃を受けるであろうと僕は予測している。
しかし、通貨のデフォルトがすべての人の生活を絶望的な状況に追い込むわけではない。

将来の危険性を予測して、適切な対策をたてておけば別に大騒ぎをするほどのことでもない。預金の一部を金やプラチナなどの貴金属に換金しておくのも良いし、食糧難に備え農家に転職するのも良い。ネパールでも有機農業を広めるためにがんばっている日本人がいる。莫大な借金を抱えて大規模農業をやっている人など、逆に大もうけをする可能性もある。

要はきちんとした情報に基づいた危機対策をきちんとたてておけば良いというだけの事だ。国家レベルできちんとした対策をたてておいてくれれば、国民は安心して生活できるのだろうが、今の政府にそれを期待するのは楽観主義を通り越し、脳天気と呼ぶべきだろう。

現在中国が為替操作国として、世界の非難を浴びている。私もボランティアで無収入状態になることから人民元の購入を資産運用として検討したことがある。しかし、中国政府がドルを買支え実質米ドルペッグ制となっていること。また、中国国内の銀行で本人がパスポートを提示しないと口座を開けないことや、一日毎・一年毎の両替金額上限を決め、その金額を超える場合は申請と認可が無いと出来ないことから為替レートの変動がしにくい。おまけに人民元のFXでは売買両方にマイナススワップが発生するため長期保有に向かない。

アメリカ財務省は議会から、中国が「為替操作国」であるかどうか判定するよう命じられているというが、明らかな為替に対する国家の過剰干渉だろう。このままでは中国は世界から孤立する可能性も高い。おまけに、国内の貧富の差や民族問題から長期的には国家分裂の危険性も秘めている。

貧富の差や民族問題を秘めているのはインドも同様である。現在は両国ともに経済が発展状態にあり、国民は自らの生活を向上させることに関心の大部分を向けている。しかし、その経済成長が停滞し、低所得者階級の不満が政府へと向かった時にどういう問題が発生するのか僕には予測がつかない。

第二次世界大戦終戦から現在に至るまでの時代、特に先進国では最も平和で物が豊かだった時代なのかもしれない。しかし、これからは混迷の時代が到来しそうに思える。今のところ引き金になりそうなのはPIIGSの通貨危機あたりだろうか?保護主義とブロック経済が広がり、中国がアメリカに代わって台頭しそうに思える。
資源や食料の輸出入をめぐる各国の対立も深刻化しそうに思える。

災害エスノグラフィー同様に通貨危機に対する対処法も事前にまとめておくことで、そこから派生する被害を最小限に抑えることが出来ないであろうか。

食料自給率が41%とはいえ、家畜に食べさせる穀物を食料にすればなんとか食料は自給できるし、食糧を配給制にすれば、就業中の人も仕事に専念できるだろう。失業率は激増するであろうが、食料の配給と交換条件に、経済復興の事業に協力してもらうことも可能なはずだ。深刻な経済の構造問題を抱え、政治の機能不全を抱える日本のような国は、余程大きな危機的状況に陥るまで、再生できないだろう。

日本の累積債務はほとんど国内の金融機関によって買い支えられている。政府が明快な累積債務に対する返済方針を出し合意を得るまでに、株式市場等を停止しておけば経済の混乱は少なくて済むはずだ。
現代社会の持つ構造問題を明確に把握し、世界と平和的に共生できるビジョンとリーダーシップをもつ政治家を求めるのは無理なのであろうか?

2010年6月2日水曜日

文化の違いと社会の闇

僕は自己紹介をするとき、一応NGOに所属しているボランティアですと名乗っている。しかし、実際のところ僕はボランティアという言葉が好きではない。ボランティアという言葉は欧米人の文化が作り出した言葉で、ノブレス・オブリージュ(上流階級の高貴な義務)的印象を日本人の僕は感じてしまう。
孤児院でボランティア活動ををしていた人から、ボランティア活動をしているとその人達の国民性がはっきり出るといっていた。オムツの洗濯等の汚れ仕事をしているのは、日本人か韓国人。欧米人は子供たちの遊び相手になったり、本を読み聞かせたりしても、汚れ仕事に手を出す人は少ないと聞く。しかし、企業や個人の寄付金は日本人と違い、かなりの額を自分の仕事が苦しいときも出すという。

僕は基本的に慈善団体に寄付などしない。困っている人に相談を受ければ、その人間が好感の持てる相手であれば、かなり親身になって相談にのる。
ただし、最初から人任せだったり、自分で努力をしようとしない人間には手を貸さないことにした。基本的にはみんながうまくやっていければいいと思っているが、現実には善意だけでは世の中が良くならない事も身をもって理解した。

ネパールに来たのはさすがにこの国の子供達の状況は酷すぎると感じたからであるが、カトマンズで普通に生活をしている限り、人々は善良で活気に満ちており、そこまでひどい光景を目にすることは少ない。ストリートチルドレンや子供をつれた物乞いを見かけるときはさすがにやるせない気持ちになるが、お金を上げれば解決するような問題では決してない。そして、今の僕には見えていない深い闇がこの国には間違いなくある。

僕は過去に人間を過信して痛い目にあったことが何度もある。それでもみんなが幸せに過ごせる居心地のいい会社を作ろうとした。そしてようやく、僕は自分が人間に幻想を抱いていたのだと気がついた。人間は信じたいものを信じる。僕は幸せな子供時代を送ったのだろう。僕の夢は幸せな家庭と、信頼できる友人を持ち、そして誇りを持てる仕事が出来れば良いと思っていた。ささやかな夢のつもりであったが現実は小説や映画のようにドラマティックなものではなく、自分が現実を直視することなく夢を追っていたのだと思い知らされた。

日本で僕の夢が叶う事はついになかった。僕の事をかなり真剣に心配をしてくれた人はいた。けれども夢を失い、自分の生きる意味を失い、あまりに情けない当時の自分を、自分が好意を持っている人に見られる事も助力を求めることも、僕の様な人間には決して出来ないことだった。

僕は現在のネパールを明治維新当時の日本に重ねて見ることがある。バンダやかつてのマオイストのテロ活動など何をやっているのだとあきれることもあるが、あの坂本龍馬ですら勝海舟を斬りに行ったという話すらある(デマ?)。開発途上国で、苦しい生活に耐え忍びながら、地道に生きてきた人間やまじめに勉強を積み重ねてきた人間が仕事を見つけることが出来ない。そして、都市部で贅沢な生活をしている中流・上流階層の生活格差を見せ付けられ、これは国の政治に問題があるのだと言われれば、きちんとした教育を受け、余程しっかりとした目で現状を見つめることができる人以外、簡単に扇動されてしまうだろう。

そして、ネパールはこれから先の世界を動かしていくと目される、中国とインドに隣接した内陸国である。チベットと同じ運命をたどらないとは限らない。
この国の未来を憂い、先進国での就職の機会を得ながらもネパールへの帰国を選んだ友人が僕にはいる。しかし、コネ社会のネパールでは学歴も能力も活かすことが出来ずにホテルの仕事をしている。泊り込みで休日もなく、4ヶ国語を話せるにもかかわらず月額2500ルピーで仕事をしていると聞いたときはさすがに驚いた。客のチップ等がなければ生活すら出来ないという。

この国の現実を知るにつれ、やりきれない気持ちになることは少なくない。

2010年5月27日木曜日

世界経済グローバリゼーションの危機1

15世紀の大航海時代以降、世界の経済はグローバリゼーションという大きな流れにのって、発展と拡大を続けてきた。
しかし、現在このグローバリゼーションが重大な危機を迎えている。大恐慌時のブロック経済化や米ソ冷戦時代の世界二分化とにらみ合いとは根本的な原因が違う。グローバリゼーションとしてのシステムの破綻である。
グローバリゼーションはそれぞれの時代において果たしてきた役割があり、その光と影は世界に大きな影響を与えてきた。しかし、現在の世界が抱えている問題は、貧富の二極化を極大化する。そして、世界中の投資家たちの膨大な投機マネーが電子のネットワークを介し超流動的に運用されるということは(暴走?)、各国の通貨政策を無力化し通貨の暴落と国民生活の破綻を引き起こす危険性がきわめて高いことから、否定的な意見を持つ人達が増えている。

まず、近年のグローバリゼーションは、多国籍企業が開発途上国と呼ばれる地域にコスト削減のため、現地工場を建設することを特徴とする。投資に対する高い利潤を確保するには、工業製品製造における最大のコストである労働コストが低く、政局が比較的安定している国家への進出が重要となる。経済インフラが整っており、基礎教育が普及していれば尚好ましい。企業活動が海外に移転していった国家では工業空洞化(ホーリングアウト)と呼ばれる現象が広まり、工業労働者の賃金の切り下げや失業率上昇を引き起こす。
早い話、現在のグローバリゼーションとは労働賃金を世界最低水準まで引き下げ、一部の資本家とエリート達に富を集中させる仕組みでもある。
労働者と企業間の信頼関係を破壊し、労働者をマニュアルに従事する単なる使い捨ての生産要素とみなす風潮。会社や仕事に対する愛着や責任感を持たず、収入等の条件面のみの比較で転職を繰り返す労働者(ジョブ・ホッピング)。開発途上国では拝金主義的風潮が広まり、モラルの低下や競争社会における強いストレスに苛まれる事が多い。

通常は、長期的には先進国の賃金低下と国際収支の悪化から通貨の交換レートが下がり、国家間の経済格差が狭まることで落ち着く。各国は輸入製品に関税をかけることで、自国産業と失業率上昇を防ぐ。

しかし、アメリカに追従する日本やEC諸国の自由貿易と金融自由化過剰保護が世界の経済を限界まで歪めてしまった。
サブプライムローンに始まった金融恐慌が収まり、世界経済は回復基調にのったなどという経済評論家の話を僕は全く信頼していない。極度にグローバル化・電子化が進んだ経済を安定させる経済の仕組みはいまだ確立されておらず、マネー暴走による経済破綻は再び起こる。アメリカ、EC、日本をはじめとする世界経済の混乱と崩壊はこれから始まるのである。

日本の累積債務は一千兆円を超え、もはや通常の政策では返済不能だとも言われている。しかし保有者の大部分が日本の金融機関であることから、何とか通貨としての信頼を保っている。
しかし、アメリカの累積債務は一体どうなっているのであろうか?正確な数字が公表されておらず、オバマの政治力への期待と信頼から楽観的感想を持っている人もいるようだが、1980年代から双子の赤字として問題視され累積されてきたその総額は日本の累積債務の比ではなく、オバマの努力や才覚で解決できる問題では決してない。
EC経済に関しては何がきっかけで爆発するかわからない時限爆弾に等しい。PIIGS5カ国とは財政的に国家的破綻を目前に控えている、ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペインを指す。ある一国での債務不履行(デフォルト)は上記5カ国を連鎖的に破綻させる。ECはその際、運命を共にするのか、はたまた崩壊するのかという厳しい選択を迫られる可能性が高い。

現在の世界経済は密接な関係をもってつながっている。ECの危機はアメリカ、日本、そして世界のほとんどを巻き込む世界恐慌を引き起こしかねない。一体なぜ、世界はこれほど危機的な状況を招いてしまったのであろうか?

その一端は金融経済安定化を目的としたヘッジ取引が、レバリッジや空売りなどというリスクを拡大させる本来の目的から誤った金融製品を生み出し通貨や債権を不安定化させ、金融のグローバル化と電子取引による価格変動のスピード化が全世界を巻き込んだハイリスクハイリターンのマネーゲームとなってしまったことにある。

経済はギャンブルではない。通貨は国家経済にとっての血液で、必要な企業へと投資もしくは融資され、健全に運営されねばならない。個人資産は住宅積立金や傷病時の保険、老後の年金といった預金目的の違いにより、生活に必要な預金や保険ほど安全で税制上優遇された運用資産へと、高額所得者の富裕資産はヘッジ取引のような高リスクハイリターンの金融資産へと投資され、利子や配当にも高税率が課され、経済活性化のためには高額商品やサービスをどんどん購入してもらうよう仕向けねばならない。僕は中間所得層の拡大こそが国家の政治を安定させる最も効率的な手段と考えている。

これは共産主義的な思想ととられるかもしれないが、土地や、石油などの地下資源は本来個人の所有物ではない。国家もしくは世界中の人々の共有物である。
都市住宅地や商業用地・農業用地など都市計画上の用地の区分と用途ごとに税率は異なり、個人住宅なども適切な広さの土地の税率は安く、人口密集地に大邸宅を建てるなど公共目的に反する利用方法には高税率が課されるべきなのである。
石油等は、たまたま自分の国や所有する土地に埋蔵されていたから、産出されたからという理由で大金持ちになってよいものではなく、採掘等に必要な正当な労働賃金以外は環境保護や国家・世界の共有資産として扱われるべきだというのが僕の持論です。

ある国家の経済開発地区で成長が軌道に乗ったとき、土地や企業の株式に投資が集中し、実態以上に値上がりするのは経済学上の常識である。そして実態以上に価値が膨れ上がったバブルは必ず暴落する。共産主義社会については専門外なので割愛しますが、オランダ、イギリス、アメリカ、日本と歴史上例外はなかったと記憶している。
アメリカのFRBが住宅ローンバブルを放置したことで世界経済を危機に陥れたことなど、経済を学んだものにとっては必然の結果であり、ある意味国家的経済犯罪とも取れる行為である。アメリカのバブルは西暦2000年には既に注意が必要なレベルにあり、そんな状況下で金融立国を目指す?あまりにおバカな政治屋たちに頭痛を覚えたものだった。そして現在、こういう危機的状況にある国が金融機関等企業保護のために不良債権を国家が買い支えている。末期的症状と言えるであろう。

スキーでも急斜面でスピードが出すぎた時に、早いうちに上手に転べば怪我はしなくてすむ。危機的状況を引き伸ばすほど、無理と嘘を積み重ねる程、やがて来る世界恐慌は大きなものとなる。
債務不履行(デフォルト)が必ずしも国家経済を破綻させるとは限らない。不良債権の処理は債務の全体像と現在の経済状況を明確にし、関係者に公平な再建策を提示し、かつ強行することだ。その際注意せねばならないことは、個々人の不満や要求を相手にしていては話がまとまらないこと。国際社会の信頼を損なわないように誠実で確実性の高い再建プランをたて、根気強く関係者を納得させること。そして一番大切なことは国民自身が自暴自棄に陥ることなく、まじめに国家再建に取り組むことである。それらが適切な時期になされなかった時、インフレによる貨幣価値の暴落、デノミネーション、国家経済の破綻へと繋がる可能性はきわめて高い。
かつてジンバブエで起こった経済破綻はまもなく北朝鮮で再現される。ソ連経済が崩壊した時の失業や生活物資の困窮、社会の混乱はECやアメリカでも再現される可能性が高い。中国はその際アメリカに取って代わり、世界経済の中心としての地位を狙っている。その際、日本はどのような経済状況に陥るのであろうか?

2010年5月23日日曜日

ネパールの経済を発展させる施策1

ネパールの経済を発展させることは、結構かなり難しい。
内陸国にあるため、空輸以外で自由に貿易が出来ない(インド経由の陸上輸送は時間がかかり、不確実。その上国境を封鎖されると経済が麻痺するので何も言えなくなる)。現在はインドに対する反発から、中国に親近感を持つ人達も多いが、中国の影響が強くなると、今度は中国からの内政干渉が増え、反中国思想が広まるであろう。
カースト制度や男尊女卑、少数民族間のしこりも多い。(カトマンズのような都市部では少しづつ薄れつつある)

おまけに、電力不足や交通渋滞、水不足にゴミ問題と来た。・・・いや、一番の問題は無能な政治家・官僚とはびこる汚職であろう。

誤解のないように言っておくが、一般のネパール人はそんなに感じの悪い人達ではない。僕の働いているNGOのオフィスやホテルの従業員は素朴で、楽天的で、好感の持てる人達が多い。

本来、僕のようなネパールに来て一ヶ月の人間が口にするべき問題ではないのだろうが、一応政治経済を専門に勉強し、ネパールの経済発展が如何にあるべきかを真剣に考えている人間として、この国のあるべき政策を論じたい。

ネパールでの現在の主要外貨獲得手段は、観光と農産物の加工品そして出稼ぎ労働者の仕送りである。
そこで、産業を発展させるための施策として僕は低予算で可能ないくつかの政策をあげたい。

一つ目は、高度なコンテナ輸送網を構築し、インドのカルカッタまでは船舶による海上輸送、そこからパトナ等ネパール国境都市までは鉄道で、そこから先はマヘンドラハイウェイ等を使ったトラックコンテナ輸送網を構築することで、高速コンテナ輸送を可能とすること。インドの物流網自体が限界に達している今ならば、低予算での再構築提案は受け入れられる可能性は高い。既存の鉄道や道路を日本の優れた物流システム管理すれば現在とは比較にならないスピード・低価格・安全性で、コーヒーなどの商品作物の輸出、そして、産業用機械の輸入を世界中の国々と行う事が可能となる。北東部の山岳部への道路・鉄道建設は困難だが、南東部を中心に工業化を進めることが出来る。それと並行して、光ファイバーによる高速通信インフラを整備すればネパールの経済発展性は飛躍的に高まる。農業技術や機械化も遅れているが、有機栽培作や自然農法導入でインド等の高所得者層にオーガニック製品として販売することも出来る。

二つ目は慢性的な電力不足を解消すること。それには盗電と電力会社職員の汚職を解消することから始めなければならない。ネパールの実態を示す詳細なデータは入手できなかったが、インドや東南アジアでの盗電、汚職の実態は社会的にも認知確認されている。そしていくつかの地域ではそれらの問題は克服され、その為の方法論も確立しつつある。詳しくは以下のサイトを参考にして欲しい。
http://www.jica.go.jp/jica-ri/publication/archives/jbic/report/review/pdf/1-4.pdf

大規模な水力発電所等が欲しいところではあるが、雨季と乾期が存在するネパールで年間を通じ安定した電力を供給することは容易ではない。多数存在する決壊寸前の氷河湖を何とか利用できないかと考えたこともあるが、僕の手に負える問題ではない。各家庭での省電力化と今後の研究が必要となるであろう。

三つ目は観光業の活性化である。まず、現在町にあふれているゴミ問題の解消すること。
次に上記のような経済援助と交換条件に、バンダを禁止、もしくは発生した経済的損害をすべて首謀者に弁済させること。
そして、交通標識や地名、地図、店のメニューを英語(と写真)で表記し、病気やトラブルのときは自国語で応対してくれる多言語対応トラブル・サービス電話窓口の設置である。日本の街は英語さえわかれば、とりあえず、地図、地名等、ローマ字で書かれた案内が多数存在するため、それほど困らない。
ネパールではそうは行かない。有料でもかまわない。観光都市を目指すのであれば、チョウメンが食べたいのであれば携帯で電話をかけるだけで、道案内から注文まで対応してくれる。チトワンに行きたいのであれば旅行会社の一覧とサービス内容にその評価が検索できる。その程度のサービスは準備してもらいたい。
ヒマラヤの山々は世界に誇れる自然遺産であるし、チトワン等、他国では見られない動植物も多い。そんで持って、ネパール人は美少年・美少女の率が極めて高い。残念なことに年をとるにしたがって、美女美男の比率は下がっていく。過酷な生活と紫外線、そして栄養過剰等が彼らの体型を損なっていくのだろう。
少し話がそれてしまったが、ネパールは豊かな自然と好感が持てる人達の多いすばらしい国なれる可能性を持っている。僕は、ネパールにはアジアのスイスのような国になって欲しいのだ。

そのために必要なのが教育、投資、そして技術援助だ。
僕が必要と思っている教育は、以前にも書いたように高等教育ではなく、人間性を重視した幼児教育だ。
そして、投資と技術援助については、単に利潤や会社の利益を求めたものでなく、共生を理想としたものであって欲しいと思っている。
僕はこの国の子供たちに、僕の持つ知識や技術のすべてを伝えてあげたいと思っている。利潤の追求ではなく、心の絆と人間観関係を大切にした社会を構築し、豊かな自然の中で人生を終えたいのだ。
日本そして欧米諸国は、かつて中国を筆頭とするアジア諸国に投資と技術援助を行うに当たって、決定的な間違いを起こしたと僕は思っている。この問題については話が長くなりすぎるので、世界経済のグローバル化についての話は後日に回します。

2010年5月19日水曜日

カトマンズ市のゴミ処理問題2






本日はカトマンズ市職員と学校関係者を含め、ゴミ処理問題の会議をした。カトマンズ市のゴミリサイクル状況には興味があったので、市の担当職員に時間をとってもらい、1日に出されるゴミの量とその内訳、リサイクルの状況と問題点を事前に調査しておいた。
ビニール袋等はプラスティックの配水管等に、プラスティックボトル等も強度等に問題があるものの再利用していた。ガラス瓶等も同様に再利用し、レンガ等の建築廃材は道路や土地の埋め立てに使っているということだった。生ゴミ等の堆肥化も未熟ながら行われており、ゴミ処理場横の庭園は多くの木々ときれいな花が咲き乱れていた。
正直、カトマンズのゴミリサイクルレベルには驚いたが、それでも再利用率は30%とのことだった。
街中で気になったのはレンガやコンクリートの建築廃材放置量の多さ。建物の耐久性に問題があるように思った。公園等にゴミ箱等がないのも問題だ。河原や空き地や路地裏等、掃除する人がいないとことがゴミだらけになる。

担当者の話では、まず予算が足りないこと。そして、西ドイツから寄付されたコンポスト用の大型機械もメンテナンスが出来ずに数年で使えなくなったこと。建設された焼却場も街中にあったために、住民からの排煙に対する苦情が多く、閉鎖されてしまったという話だった。

やはり途上国の都市問題は一筋縄では片付かない。会議では事前に資料が配布されておらず、市の責任者による現状説明のみで、重要な決定は何一つ決まらなかった。
会議が終わるとすぐに議事録を作り関係者に配布する。議事録には話の経過は書かず、結論のみを書く。必要な資料は事前に配布し会議前に目を通す。責任者はスケジュール表や予算表、活動内容の要点をまとめておく。会議の時間は守る。等、日本では当たり前のことが全く出来ていない。頭痛~~

2010年5月15日土曜日

人間教育の必要性

以前幼児教育のコーナーで、井深理論EDAペアスクールを紹介した。僕はネパールのような多様な少数民族が存在し、カースト制度のような差別が存在する社会で必要な教育は、まさに親子が一体になったEDAペアスクールのような教育だと思っている。

ネパールのような国で必要なのは、高度な微分積分でも遺伝子操作理論でもない。約束を守ること。時間・納期を守ること。嘘をつかないこと。思いやりの心を持つこと。そんな当たり前のことを一つ一つ積み重ねていくことだと思っている。

僕が両親から学んだ一番大切なことは、当たり前のことを当たり前にきちんとすることである。僕はこの年になってそれがいまだに出来ていないが・・・。
けれども僕の両親は、僕の前でただの一度も嘘をついたことがなく、約束を破ったことがなく、親戚が白地手形に印鑑を押すという大ボケをかまして、暴力団に追い回された時も消して見捨てることなく、最後まで辛抱強く交渉に当たった。

年を経るに従って、人間は色んな物が見えるようになってくる。僕の両親は聖人君子ではない。けれども、僕や姉の前では良い親であろうとし、辛い時も、怖いときも、一生懸命良き人、正しい人間であろうとやせ我慢をしていたのだ。

僕はそんな両親を尊敬している。いくら高度な知能教育を受けようとも、思いやりの心やモラルを持たず、打算と保身と世間体にのみ知力を注ぐ人間など、頭の良い昆虫と大差はない。はっきり言ってそういう人間は要領が良く、ハイセンスで、世渡り上手だ。そういう人間が教育を受けていない純朴な人間を食い物にする。しかし、僕はそういった人間が羨ましいとも、幸せそうだとも思わない。哀れむつもりも毛頭ない。昆虫の様に自分とは全く異質な生き物だと感じているだけだ。

どうすれば、このような国の人々を幸せにしてあげることが出来るのであろうか?僕はこの国を変えていくのに必要なことは、親子が一体になった早期教育だと思っている。母親だけではいけない。父親にも教育の必要性とモラル、そして子供に規範を示す矜持が必要だと思っている。多数の少数民族がいる国では共通語を幼少時から覚える必要性があるし、モラルや思いやりのある人間として人間の基礎を創る事、その為の規範を示すことは、簡単に出来ることではない。

そのために僕は皆の導きの星となるかわいい子供、アイドルを育てたいと思っている。身寄りのない子供、アウトカーストとさげすまれる子供たちが、きちんとした教育を受け、愛され、さまざまな試練を乗り越えることで、どのような人間に成長するのかを人々の目に示したいのである。

僕は、この国をより良く変えてゆく人間はこの国の人間であるべきであると考えいる。僕はこの国の教育という分野において、ほんのちょっぴり、その手助けをしたい。

願わくば、その子供たちが混迷する社会を導く星の心を宿す有志たらんことを。

2010年5月13日木曜日

後進国の経済発展を阻害する要因

後進国の経済発展を阻害する要因はいくつもある。
気候的に極端に暑い場所や寒い土地、水が手に入らない、または内陸部で海上輸送が出来ないなどの地理的要因。近代の帝国主義による植民地政策により、自国の文化が歪められてしまった例や、独裁者が圧制をひく場合などの人的要因。(貧しい国で高価な天然資源などが発見されるとこういう事態に陥りやすい。)

経済的に発展が立ち遅れている地域では、必ずと言っていいほどこういう地理的・歴史的な問題を抱えている。それらの中には人間には対処仕様のない問題も数多くあるが、人間同士が協力すること、教育によって変えていける問題も少なくは無い。ここではネパールを例にどのように経済発展を阻害する溝を埋めていけるかについて考えて生きたい。

以前、教育の原点で書いたが、人間が高度な文明を構築しえたのは、互いに協力し、道具を使い、言語と文字によって高度な連携作業を可能とし、技術を後世に残すことが出来たからである。

一方後進国と呼ばれている地域では、上記の連携はうまく行われているであろうか?
ネパールでは、カースト制度による差別、男尊女卑が根強く、効率的な分業や役割分担を阻害している。カーストが異なると対等な立場での話し合いすらできないため、有効な協議が出来ない。また、頑張っても潤うのは上級カーストの人達のみなので、下級カーストの人はモチベーションをもちえない。政府機関やNGOスタッフも学歴のある上位カーストの人たちが多く、就職の際も親族によるコネによるところが大きい。そのため、下層カーストの人たちはなかなか経済的に発展しない。
また、国が複数の少数民族から成り立っており、民族間のしこりも根強い。多数の言語が存在し、高度なコミュニケーションが取られていない。学校に入学しても母国語以外の言語で授業を進められた場合、ついていけなくなる子供も多い。教育の重要性を認識していない親が多く、家業の手伝い等で疎かにする家庭も多い
そして、高度な協力や連携作業を行う上で基本となる、約束や時間を守ることの重要性が社会的に重要視されていない。また仕事の条件が少しでも良ければすぐに転職してしまうため、基幹となる社員が育たない。
上記理由から、計画的に物事が進まず、それを当然の事として受け入れている。

僕は日本が世界的な技術大国に成り得たのは、日本国民が優秀だったからとは思っていない。日本人が日本語という単一言語を話す民族で、協調性を大切にする文化を継承してきたこと、そして第二次世界停戦による敗戦ですべての物質的財産を失い、一致団結する必要性に迫られたからだと思っている。

一方ネパールではどうであろうか、個別には優秀な文化を伝承しながらも、ネパール国民が一致団結している光景を目にすることは少ない。(バンダやお祭り等を除いて)

上記問題の原因は地理的、歴史的要因に基づくものが大半を占める。しかし、これらの溝は住民の努力によって歩み寄らなければ埋めることは出来ない。そしてこれを解決するのは教育しかないと僕は思っている。大人や親が子供たちの前では決して差別や暴力を使うことなく生活習慣から変革する規範を示すことこと。幼児のころから、他部族との共通語を学習し、他国や他民族の優れた文化と技術を吸収し、自国の文化の長所と融合した新しい文化を創ること。

これは口で言うほど簡単なことではない。自民族の文化に深い愛着を持つ人々にとっては許容しがたいことかもしれない。しかし、文化が知的、技術的に熟成し洗練されるには、少なくとも一千万単位の民族が必要となる。少数民族が変化を拒んでも時代の流れから取り残され、貧困と差別に苦しむだけである。
後進的立場にある少数民族が、民族のアイデンティティーを失うことなく先進的立場にある文化と融合してゆくには、一部民衆に差別と貧困をもたらす慣習を断ち切り、民族特有の感性・文化を練磨してゆくことではないかと思う。

たやすい事ではない。しかしこの国で、自然と調和を保った経済発展を成し遂げることが出来れば、貧困に苦しむ多くの国々にとっても、より実現性の高いモデルプランになると思うのである。

2010年5月11日火曜日

幼児教育2

シュタイナー教育では心と体の発達段階に応じた自然な教育が必要とされており、0~6歳は意思・行動力の基礎。7~13歳は感情の基礎。14歳~は思考の基礎に重点を置いた教育がなされるべきだという。彼は幼児は自然とのみ接するべきで、テレビやゲームのようなものは出来るだけ遠ざけて置くべきだと主張している。
一方、ドーマン式や石井式では、フラッシュカードを使ってゲーム感覚で子供に計算や漢字を記憶させるべきだと主張している。その際の注意点として、教材は子供の発達状態を考えて大きめに見やすく、学ぶ楽しみ、飽きる前にやめる。カードはスピーディーに見せ、テストしないよう指導している。
久保田式では、テレビはどんどん見せる。赤ちゃんは、何度も繰り返し流れるコマーシャルが大好きで、好きなコマーシャル見たら泣きやむ子がいますが、それは、赤ちゃんが自分の好きなものを選んでいるということだそうだ。

全く色々な教育法があるもので、素人にはどれが良いのか判断がつかない。しかし、自己流で理想の教育なるものを掲げてみる。


1.乳幼児期は脳神経が急激に発達する時期で、発達段階に応じ、好奇心に沿った遊び(教育)が肝要。飽きる前にやめさせる
2.子は親の鏡。子供の前でうそをつかず、約束を守り、円滑な人間関係を見せる。
3.親子のコミュニケーションは重要。そして色々なものを体験させる。 

第一期 
この時期は一番学習・適応能力が高いので、見る、聞く、嗅ぐ、食べる、触る等、五感を通し、全身で自然と世界のあらゆるものとふれあい体験する時期。きれいなもの、美しい音楽だけでなく、子供が興味を示すいろいろなことを体験させることが重要 最も重要なのは親の子供に対する接し方とコミュニケーション。学習能力が高いので読み書き、計算、外国語、社会性を身につけさせておくとそれ以降の学習効果が格段に向上する。
とりわけ読解力はあらゆる学問の基礎。絵本の読み聞かせから、本に興味を持たせ読書量を増やすことは重要。
個人的見解になるが、コンピューターに触れ、タイピングソフトから入り、音楽を聴いたり、興味があることをネットで検索しマウスオン辞書を使って読み始めたりすることは良いことのように思う。ただし、テレビゲームは刺激が強すぎ、他の事への興味が低下するるので、やらせるべきではないと考えている。

第二期 
学ぶ習慣 教養身につける 世界観の基礎身につける 公文式による個別学習や読書量を増やすことも重要
 読む考える書く習慣 成果物主義 学ぶ意義理解 調べる習慣 体験学習 基礎教育と教養
 人間や社会等、一般教養を身につけ、魂、世界と言語、知性と感性、そして人間と社会というものを理解し、自分の進みたい方向性が見えてくれば卒業

第三期
 基礎の応用を体験で学ぶ 人の目利きと付き合い方 ビジネスのスタイルと手順 自己の確立 世界観の確立 専門分野を作る 生涯学習の習慣を身につける

毎日30回はgoogleで検索し、きちんと覚える。自分がこうありたいというビジョンを持ち、情報に対する嗅覚を養う。
自分の興味のある分野や希望する進路に関連することをとことん調べる。一万回検索すれば自分の求める方向性が見えてくる。

ここでは幼児教育についてのみ扱ったので、他の部分については後日の説明にまわしたい。

2010年5月6日木曜日

幼児教育1

早期教育についての賛否はいまだに多い。しかし、幼児期の環境が知能と人格形成に与える多大な影響について異論を挟む人は少ないように思う。正直なところ、僕は早期教育の必要性を訴え、高い教材を売りつける業者に好感を持っていない。幼児期からいくつもの習い事に通わせるのもどうかと思っている。早期教育と幼児教育についての有名な理論は一通り目を通したが、その中で僕自身が効果的だと思った方法について紹介したい。自分なりの解釈も入っているので、興味のある人は本人の書かれた本を読んでいただきたい。

ソニー創業者の一人である井深氏のEDAペアスクールは、人づくりの原点は家庭にあると言っている。幼児は何でも模倣することから、親は子供の前で模範をみせねばならないと言う。約束守る。嘘つかない。思いやりの心を持つ。そういった人間として当たり前のことを子供の前できちんとすることが何よりも幼児教育には必要なものだと言う。僕はこの点を一番重視したい。現代の早期教育では知能教育が重視される傾向があるが、親子の絆を深める人間教育こそがもっとも大切な教育だと思った。

ゴードン博士の提唱する「親業」では親の子供への接し方についてもう少し詳しく書かれています。親子の絆を深め子供に良い影響を与える自立の手助けとして、親がまず子供への接し方を学ぶ。過保護、過干渉ひかえる。子供を一人の人間としてコミュニケーションをしっかりとる。子供が自分の力で問題を解決できるよう導く接し方、能動的聞き方として、繰り返し、言葉の整理、言い換え、気持ちを汲む、自分の気持ちを伝えることが重要だといいます。

井深氏は「三つ子の魂百まで」と言われるように人間としての基礎づくりは、幼稚園からでは遅すぎると言っていますが、幼児への具体的な接し方についてはあまり述べられていません。その点についての詳しい研究は久保田メソッドが良くできているようにかんじます。
 おむつ交換等これからやること目を見て話しかける話しかける。その際、単語だけでなく主語・述語のある文章で語りかける。 ガラガラは幼児の視線・焦点が合うのを確認しながらゆっくり動かす。言葉の話せない幼児とのコミュニケーションは視線と表情、手の動き等、ボディーランゲージです。相手のやりたいことを読み取り、目を見ながらゆっくりと言葉として話しかけ、まねして話し返してきたらやってあげる。こういうプロセスをきちんと辿って行けば、幼児の成長は早いのだろうと感じました。他にも、視覚神経が最も発達する幼児期に、立て抱っこで遠近感や色彩豊かな景色を見せる。ボールを使って、子どもに先を予想する練習をさせる。等、いろいろあるのですが、実際の育児に利用したい場合はきちんと本を買って覚えてください。

2010年5月4日火曜日

マオイスト

今ネパールではバンダと呼ばれるマオイストによるゼネストが全国規模で行われている。
マオイストは新憲法制定が遅れている現政府の責任として、首相退陣が認められるまで無期限にゼネストを強行すると宣言している。マオイストは外国人観光客には手を出さない旨宣言しているが、店舗の休業や車両の通行が禁止されているため、外国人観光客は観光はおろか食事にさえ不自由する日々が続いている。
むろんマオイストにそのような事をする法的権限は無いのだが、逆らうと暴行を受け場合によっては燃やされるため、民衆は従わざる得ない。実際のところ、活動しているマオイストのほとんどは農村部に住む何も知らない農民達で、無理矢理マオイストに加入させられ、バスで都市部に連れてこられ、地方との生活格差を見せつけられ、この不公平は政府が悪いと焚きつけられているに過ぎない。彼らが利用している学校施設や宿泊施設は、協力してくれなければ私達は何をするか分かりませんと遠回しに脅迫を受け、施設や食料を提供しているのだ。

今のところけが人は少なくないようだが、人が殺されたという話は聞いていない。
しかし、首相退陣など現政権が容易に呑む筈が無く、膠着状態が続けば事態がエスカレートする危険性は高い。
僕の宿泊するカトマンズのタメル地区では、夜間こっそり店舗を開いている飲食店があるが、ゼネストが長引くと観光客に出す食料等も在庫が無くなる。ゼネストは4日目だが、開いている店の数が徐々に減っている。タメル地区はそういう理由で一番食糧危機に陥りやすい。ネパールの観光を予定している人は気をつけてください。

2010年4月30日金曜日

ピクニック


所属するNGOが運営する日本語学校生徒のピクニックに同行する事になった。参加者は20名程で20代の若者が中心だった。事務所に所属する2人の通訳はボランティアでこの学校の先生をしているという事だった。カトマンズから30分程度でこのような自然の美しいキャンプ場に来られるとは驚きだった。


普段はあまり働かないイメージのネパール人。こういうイベントの時は見違えるような手際の良さを見せる。瞬く間に料理を作り終え、豪快な食べっぷりを見せてくれた。

食事の後は業務用のスピーカーと音響機器を設置し、音楽に合わせて踊り出す。ネパール人は踊りが本当に好きだ。僕も誘われてるまま、ぎこちないながらも踊ってみた。正直なところ言葉の通じない僕は場違いな感じがしたのだが、こういう交流がある事を理解しておく事も必要なのだろう。

2010年4月28日水曜日

カトマンズ市のゴミ処理問題

市職員及び教育機関関係者とカトマンズ市のゴミ問題に関する会議を行った。ディベロプメント・ファシリテーターを務める理事長の提案で、学生を核としたゴミ処理推進体制の手順とスケジュールを議論する。計画は二段階に分かれており、第一段階では主にゴミの分別と資源化再利用。第二段階で生ゴミをコンポスト(堆肥)としてインバートメントする運動を学生が中心となって広めていこうという計画だった。生ゴミの堆肥化は問題点も多く、先進国でも失敗している例が多い。ネパールで進めるに当たって学生を中心とし、学校を花でいっぱいにする事からはじめ、その後堆肥の有料引き取り等に移行していこうという発想はなかなか的を射ているように思った。

会議には前回蓮を取りに行ったときの職員の一人も参加していた。意外にも彼の提案内容は現実的で、第一段階を今年度の予算が使える7月末までに3つの地区300校程度で実施しその動向と来年度の予算を考慮しその後のスケジュールを立てるという物だった。今回のプロジェクトに関しては、着任したばかりという事もあり、僕はほとんど関与していない。お手並み拝見と行ったところである。立場上、カトマンズに来てからこの町でどのようなゴミ処理が行われているか見てきたが、ゴミの内訳はプラスティックやビニールが多く、再利用できる資源は少ないように感じた。生ゴミ等を減らせるだけでも効果は大きいと思うのだが、今後の動向を見守りたい。

2010年4月27日火曜日

教育の原点

ここから学校に通う女の子は無事飛び級試験に合格し、3年生からスタートする事になった。そして僕の現地理事就任も本日理事会の承認を受け、正式にスタートする。

かなりの長文になるが、ここで僕の理想とする教育の原点についてふれておきたい。

地球における生命進化の歴史に見られる基本原則は、弱肉強食・適者生存である。すべての生命は激しい生存競争の中で、より良い子孫を残すことにより進化をしてきた。その中でただ一種、特異な環境適応により圧倒的な繁栄を誇った種がある。人類である。

人間は群れを作りお互いに協力することで、強大な獲物を狩り、様々な困難を克服してきた。道具を作ることで技術を得、より高度な協力をするために言語と文字を生み出した。文字により後世に技術を伝え、また遠方の人々との交流を深める中で、やがて人類は社会と文明を手にする。

現在、我々は音楽や映画を作り、時に自動車を作りビルを建て、様々な文化的活動を行っている。知的所有権という概念が国際社会においても認められ、あたかも自分達だけでその芸術作品や技術を生み出したかのように権利を主張しているが、果たしてそれは正当な主張であろうか?

我々は言語を使って高度な論理的思考を展開する。言語は一朝一夕に出来るものではない。何千年もの歳月をかけ、技術を集積し、感性の表現を練磨し、そして現在に至るのだ。言語・技術・文化は、幾百億もの先人たちが生涯をかけて築き上げた、かけがえの無い遺産なのだ。

その土台があるからこそ我々は高度な論理的思考を為す事ができ、豊かで文化的な生活を送ることが出来る。自分の思考・感性・知性は自分だけのものだと考えている人は多いが、自我とは己一人で作り上げたものでは決してない。先人から受け継いだ、言語・知識・文化等の土台があり、自分を取り巻く多くの人々との有機的な関係を経て、初めて成り立つものである。

それら先人から受け継いだ遺産に、感謝の心を持つこと。その力を宿すことに誇りを持ち正しく使うこと。そして、これからの時代を担う子供たちへと語り伝えていくことは我々の責務である。

人は必ず死ぬ。どれほど巨万の富を稼ごうとも、死んでしまえば無意味となる。子供たちに財産を残しても、相続争いの元になるか、自分で働こうとしない放蕩者に堕落させるだけの結果に終わる事例が極めて多い。地位や名誉を追い求めても、権力に執着し謀略と汚職に手を染めた権力者など教育を受け分別を持つものならば誰も敬いなどしない。

人生とは無意味なのか?そうではないと思いたい。我々自身の魂が、自分だけの想いで在るのでは無い様に、我々の生き様や共に過ごした思い出もまた共に生きた人達に受け継がれてゆくのだと考えられるからである。

「子は親の鏡」という諺がある。年を経るにしたがって両親に為り人が似通ってくる例は極めて多い。父母に大切に育てられたように、今度は我々自身が共に喜び、怒り、哀しみ、そして楽しんだ想い出を愛する子供達の魂の糧として受け渡してゆくことは、我々にとっての喜びであるとともに責務でもある。

魂とは何でしょうか?僕は魂とは知性と感性から成り立っていると考えています。

知性とは何でしょうか?僕は知性とは知識を理解し関連付け応用する力だと思います。知識そのものが少なければ知性も決して大きなものにはなりえず、偏っていればその人の考え方も偏ります。知識を理解せずにただ暗記しただけでは実社会では役に立ちません。

感性って何でしょうか?僕はその人の人生経験から生まれるセンスや美意識の判断基準であり表現力だと思います。どんな服や音楽を好むかはその人がこれまでの人生経験をどのように感じ、そして行動してきたかが反映されます。単調な生活を歩んできた人はどちらかといえば派手で豪華なけれど底の浅い美的感覚を 暗い人生を送ってきた人は地味なものを好む傾向があるような気がします。

僕は、学ぶとは自らの魂を育て、磨くこと。自分が誇れる、なりたい自分に近づくこと。教育とはそのために必要な知識や課題、環境をあたえ、個人が持つ個性や才能を開花させる手伝いをすることではないかと考えるのです。日々の生活で、何を見聞き、何を考え、そしてどのような行動をとるか?日々の積み重ね、一つ一つの行動が己の魂を創ってゆく。その自覚こそが人に革新的な成長をもたらすと考えている。

僕は1日に30回、自分の知らない事、知りたい事をgoogleで検索するよう人に勧めている。1年で1万回、10年で10万回。それだけの回数を調べ、学び続ければ自分の世界観となりたい自分が見えてくる。新聞のようにただ与えられた情報を読むのではダメだ。情報に対する嗅覚を養う事。そしてそれらを貪欲に取り込む事がこれからの時代には必要になる。

紙おむつが普及して、子供の知能の発達が遅くなったという話を聞いたことはありませんか?
昔は育児とは子供に安全で快適な環境を与えてあげることだと思われていた。
しかし、今は子供に色々な刺激を与え、母親を見分けさせ、コミュニケーションを必要とする状況を作り、目で声で全身でコミュニケーションをとること。おいしいものまずいもの、うれしいこと辛いこと怖いこと楽しいこと色々な感情を体験することが必要なのではと考えています。そんな中で自分で工夫すること、考えることをうまく誘導できれば、知能の発達は早くなるのではと考えてます。

なぜネパールに学校を創るのかとよく聞かれますが、それはネパールが差別と貧困そして人々の笑顔と自然や動物達とのふれあいに溢れているからです。

孤児院を作るではなく学園を作るのは、苦難の後、安全と快適な生活を手に入れ、そして勉学と研鑽に励まねば過去の貧困にとらわれる。そんな状況こそが人間は最も努力し、輝くのだと思うからです。過度の競争は煽りません。協力と連携、そして仲間とともにあるという安心感は人を支えます。
人間は保護されればされるほど弱くなります。もちろん子供も。自分でできることは自分でする。それも子供には必要だと思います。

快適で安全な環境が教育に適しているとは考えていません。うれしいこと楽しいことだけでなく、悲しいこと辛いこと、いろんな体験を積み、試練と困難な課題に苦悩することこそが人の魂を成長させ磨くのだというのが僕の考えです。

今の日本人は人生経験偏食症ではないだろうかと僕は考えています。楽しい事、嬉しい事、おいしい物、きれいな物だけを経験しても人は大成しない。辛い事、悲しい事、寂しい事、嫌な事も体験してこそ、人の痛みを理解し、嫌な事にも耐える強さを得、バイタリティーに溢れる人間になれると考えるのです。

これが僕の理想とする教育の原点です。そんな事はできるはずがないと周りの人達は言います。大変な事は分かっている。それでもやるか、あきらめるかだ。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」僕は自分の残りの人生すべてをこの学校創りにかけてみようと思う。それだけの価値のある事だと思うから。そして、子供達と共にある日々はきっと楽しい事でもあると思うから。

2010年4月26日月曜日

初出勤

ネパールの休日は土曜日で、日曜日は普通の出勤日となる。という訳で、今日はネパールでの最初の出勤日となる。昨日はバラジュー庭園に蓮を植えに行っていたのだが、代休などというものは存在しないようだった。
ネパールの事務所は政府要人等を招待する事もあるという話で、日本の事務所と違いそれなりに立派な家だった。あくまで外面だけの話。事務の規定やOA化は・・・・・。ここでは触れない事にしておく。
予算にゆとりのあるよほど体制のしっかりした団体以外、NGOの事務体制はきちんと整備されていないところが多い。

僕は会社を経営していた事もあるので、経理や事務マニュアルの作成、事業計画書作成等、一通りの事はできるのだが、理事長は予算を割いてまでやる事では無いと考えているようだった。ネパールにはネパールにあったやり方があるという事だった。

日本から持ってきた電子機器はほとんど壊れてしまったらしい。電圧が違うのに変圧器をかまさずに使ってしまったりするそうだ。テフロンコーティングのフライパンは固いスポンジで洗うためボロボロ。洗濯機には洗剤を適当にぶち込んで泡まみれにしてしまったらしい。何度注意してもダメらしいのだ。ネパール人恐るべし・・・。

事務所には12歳のかわいい女の子が居た。父親は身体障害者で蒸発。母親は彼女を引き取らずに他の男性と結婚したという事で、父親側の祖父母が今まで彼女を育てていたらしい。その祖父母も年のためこれ以上彼女を育てていく事が困難で、村でも問題になっていたという事だった。彼女は1年しか学校に通っていなかったそうだが、頭の良い子らしいので、明日飛び級の試験を受けるという話だった。
取り敢えずはこの家(事務所?)から学校に通わせるという話で、理事長が養女にする事も検討しているという話だった。孤児を育てていくのは初めての事例なので、大切に見守っていきたいとの事だった。

ネパールではこういう話は少なくない。ネパール全体で4万人の子供達が孤児院に入っており、そのうちの半数はカトマンズにいる。ネパールの孤児院に居る子供達は必ずしも両親が居ない子ばかりではなく、親がいても経済的に育てられない子供も預けられているらしい。僕はまだこの国に来たばかりで、この国の現実を分かっていない。これからは自分自身の目で、この国の現実を確かめていきたい。

2010年4月24日土曜日

タンセンにて

カトマンズにあるバラジュー庭園に植える蓮の地下茎を採取するため、今回はタンセンに訪れたらしい。日本なら造園業者に依頼すればすむことだが、こちらではそれではうまくいかないらしい。何のためにこんな仕事をしているのかは、まだネパールに来たばかりの僕にはよく分かっていないのだが、とりあえず従っておくことにする。理事長はカトマンズ市のディベロプメント・ファシリテーターも兼任しているので、その関連の仕事らしい。朝のチャーを戴いた後、理事長とGさんと私の3人で散歩に出かける。タンセンはなかなかきれいな町だった。信心深いネパール人達は朝から早速寺院へ礼拝に訪れていた。我々もお賽銭?をはらって、額にティカを付けてもらった。

有力者の家に戻ると早速仕事の段取りをきめ、蓮の自生している池に向かう。市の職員は今回、理事長の仕事を手伝いするために休暇を取って同行したという話だが、全然仕事しね~。仕方がないので、現地の農家らしき人も雇って、何とか当初の目的であった100本の地下茎を確保する。すると職員どもは大して仕事をしていた訳でもないのに仕事が終わったと親戚の家に遊びに行く。カトマンズへの帰る途中のホテルでは売春婦をホテルに呼んで騒ぐ乱れっぷりだ。むろん我々は参加していない。

ネパールでは割り勘などはあまりなく、一番偉い人が飲食費等を払う場合が多いらしい。どう見てもタダで飲み食いするためたかりに来たといった感じだ。ここに来るまでの車の中でも、やたら下ネタの話が多く、市の給与では到底住めない家に住み、何人か女を囲っているらしいことも理事長から聞いた。はっきり言って非常に感じが悪かった。ネパールはカースト制度が根強く残るコネ社会で、上級カーストの人間はコネで市の職員にも入ってくる。まだこちらに来たばかりなので、詳しいことは分からないのだが、こういう人間達ともつきあっていかなければネパールをより良く変えていくことはできないらしい。うちのNGOでは経費は寄付金の20%と決まっているので、こんな飲食費は経費で落ちない。すべて理事長の自腹だ。僕は目の前が暗くなってくる気がした。

タンセンの町であった人達は純朴で好感が持てた。外国人はそれほど多くないらしく、通学途中の子供がつたない英語で話しかけてきたりした。定食屋ではお母さんと子供達が、一生懸命仕事をしていた。子ヤギや鶏が放し飼いにされており、のどかで美しい風景が郷愁を感じさせた。僕はこういう人達の力になってあげたいのだ。だが、それは理事長も同じだろう。この日は暗い気分のまま眠りについた。

2010年4月23日金曜日

初めてのネパール

まずはカトマンズ空港内でのトラブルから。
ビサは現地取得の方が安いと言うことで、日本では取得しなかった。到着が1時間程遅れたことから、前の便の旅行者が列をなしており、ビサなし入国審査の窓口が滅茶苦茶に混雑していた。空港に迎えの人が来る場合、日本で取得しておいた方がスムーズに進むかもしれない。僕の場合は航空機の遅れと空港が混雑していたことから、迎えの人を2時間程待たせてしまった。
現地でビサを取得する人は記入フォームが英語なので、事前にフォームをダウンロードし、記入しておいた方が良い。申請フォームが変更されることもあるので、最新情報を自分で検索してください。(写真も必要。)

カトマンズ空港にはNGOの理事長と現地スタッフ(通訳:以降Gさん)が来てくれたのだが、タクシーでホテルに着くなり、パスポートも着替えも持たず、両替すら済ませていないうちに、いきなりタンセンという町に行くことになった。今日中にタンセンまでいきたいので、大急ぎで出発しないといけないらしい。同行者にはカトマンズ市の部長クラスの人も居るらしい。5人乗りの車になんと8人で乗り込む。ネパールではこの位は当たり前らしい。中に入りきらないときは屋根に乗っけて行ったりしている車もよく見かける。

カトマンズに着いて早々、いったい何がどうなっているのだと思いながらも、車の窓から町を眺める。ちょっとゴミゴミしていて埃っぽいが、活気に溢れる町だ。理事長は僕の隣の席で、この国の習慣や文化について色々と説明してくれた。ネパールで18年もNGO活動をしているだけあって、さすがに詳しい。

カトマンズ市内の人力車は観光客には高い料金をふっかけているが、地元の人は安い料金で乗っていると言うこと。トリブヴァンハイウェイのハイウェイは国道の意味。途中で事故って谷底に落ちかけている車を何台か見かける。ネパールの道路は深夜には飲酒運転が多いことから本当に危険で、地元の人達も深夜のバスに乗るのは避けていると言うこと。トラクターは馬力が強いので荷台を引かせ、トラックの代わりに使われていると言うこと。
僕はその一つ一つを記憶に刻んでいく。この国で暮らしていく覚悟を決めた以上、一刻も早くこの国の文化になじまなければならい。環境に適応するのは比較的早いほうだが、海外、しかもネパールで暮らしていくのは僕が考えていた以上に大変なことも多いと思う。特に僕はネパール語が全く話せず、英語も少ししか話せないのだから・・・・。

ネパールの料理はおいしく戴くことができた。ネパール人は口を付けずにペットボトルの水を回し飲みしているのにビックリ。客が来てから米を炊き始めるという店のスタイルにも驚いた。(ネパールの田舎では当たり前らしい。)そして更に、その食べっぷりの見事さに驚いた。(日本人の倍以上の量をすごい勢いで食べていた。)
右手で食べるのは初めてだったが何とかなった。生水と生野菜は取り敢えず手を付けないことにする。少し衛生面で心配なところが多かったが、とりあえずはやっていけそうだ。

タンセンに到着したのは夜になった。途中かなり無茶な飛ばし方をしていて心配になったが、深夜の道は危険なため敢えて飛ばしたのかもしれない。ホテルは満室だったので町の有力者の家に泊めてもらうことになった。ネパール人は深夜突然の訪問にも全く嫌な顔をしない。本当におおらかである。この日僕は初めてのネパールに戸惑いながらもぐっすりと眠ることができた。

2010年4月22日木曜日

ネパールへの旅

航空機のチケットは21日でしかとれなかったので、20日は成田近くのゲストハウスAZUREに一泊することにした。サービスはそれほど良くは無かったが、成田空港に近いことと安いことから、早朝出発の飛行機に搭乗する人には便利かもしれない。
http://www.azure-guesthouse.com/JP.htm
僕の荷物重量は、預ける手荷物28kg+手荷物7㎏と中国国際航空に無料で持ち込める最大クラスの荷物を持っていたため、移動にはかなり苦労した。空港までは自力で持ち込んだが、空港内ではカートを海外での移動にはタクシーを使うことにした。


成田空港では利用する航空会社によってターミナルが異なっているので、ゲストハウスのスタッフに教えてもらった第2ターミナルに向かうが、スタッフがAir ChinaとChina Airを勘違いしていたらしく、第1ターミナルと判明。あわてて無料送迎バスを使って第1ターミナルに向かう。
航空会社毎の荷物制限と搭乗ターミナルは事前に自分でインターネット使って確認することをお勧めする。

第1ターミナルの搭乗手続きの際、アイスランド噴火の影響で空港に足止めされていた外国人達が抗議行動を起こし、搭乗手続きが大幅に遅れていた。もう数日間ホテルに足止めされ、毎朝空港まで通っているのに搭乗できないことに憤りを感じてのことだった。警察の空港警備隊が出てきたのでおとなしく引き下がったが、結局飛行機は2時間遅れの出発となった。出発に際し、フライトが遅れた説明も謝罪もなく、説明は中国語がメインで英語の補足が少しだけ。正直なところ、海外旅行初心者には格安チケットでの一人旅は厳しいなと感じた。

ネパールには直行便がないので、中国の成都経由便をeチケットでとった。成都経由はチケットにも記載されているが、北京でトランジットすることは当日チケットを受け取る際、初めて知らされた。
入国審査も北京で受けることとなった。(中国での入国審査は最初に到着した空港で行われるらしい。)正直、この入国審査も中国語がわからない僕にはきつかった。
海外の空港で訳が分からなくった時の必殺技を一つ。ホワイトボードに「日本語の分かる方、助けてください」と書き、多くの人が見える場所に掲げればよいのだ。日本でとったチケットならまず旅慣れた日本人の同乗者が居るはずである。かなり恥ずかしいが、心強い旅の同行者を得られる。今回はこれで乗り切った。
タクシーを捕まえるときも、行き先の住所と料金を書いておけばぼったくられることも少ない。ただし、向こうから話しかけてくる外国人は信用しない方が良い。騙されはしなかったが、怪しい人をたくさん見かけた。
成都ではタクシーでSim's Cozyゲストハウスに向かう。ネット上での評判が良かったのでここに決めたが。ここは当たりだった。現地スタッフや長期滞在で仕事を探していた日本人と楽しい一時を過ごせた。明朝早く出発するので今日はここまで。はう~~疲れたよ(^^;)

2010年4月21日水曜日

渡航準備

ネパールで学校を創りたいと思い立って、1年あまり情報収集と準備の期間がかかった。すべての情報を記載することは到底できないが、ネパールで生活あるいはNGO活動をするに当たっての準備と参考になる情報を掲載しておく。

NGO-JICAジャパン・デスク(ネパール)
http://www.jica.go.jp/japandesk/nepal/index.html

海外移住情報
http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/

ネパール半移住の勧め
http://homepage3.nifty.com/earthbound/

準備活動で一番優先順位が高かったのは、どのNGOと協力関係を取り付けるかの調査と折衝である。正直、言葉の通じない外国で、学校を創って教師になりたいなど、自分一人では無理。
今回僕が所属するNGOに現地理事として迎えてもらえたのは僥倖と言うより他はない。実際には色々な不満や衝突もあったのだが、素直に感謝している。僕の本名や所属するNGOは現地情報に詳しい人であれば一目瞭然であるが、ここでは一応伏せておく。


多くの人は海外でボランティア活動をする際、最も必要な技能に語学力をあげるのでは無いだろうか?僕自身も、語学力は極めて大切だと思う。しかし、今回ボランティアを行うに当たって僕はネパール語習得をあきらめた。僕の年齢ではしゃれにならないほど時間がかかるからである。自分でネパール語を習得するより通訳を雇った方が現実的だと考えたからである。日常生活の最低レベルは旅の指さし会話と英語でやりくりし、複雑な会話はNGOに2名いる通訳にお願いすることにする。発音等の問題でどうしても意思疎通ができないための筆談用にホワイトボード(シート)とマジックも持って行く。

電子機器は現地では高性能なものが手に入りにくく価格も高いため、日本から持って行く。携帯電話はSIMロックを外した第三世代携帯が現地で使えるという情報を得たので、SOFTBANKのプリペイド携帯を購入し、YahooオークションでSIMロック解除の業者に依頼する。SIMロック解除は携帯のソフトを書き換えることから一部機能に支障が出るということだが、とりあえず試してみることにした。日本では携帯メールの機能に支障が出たが、現地でSMSが使えれば問題なしと割り切る。
http://onlineshop.mb.softbank.jp/ols/html/model/index_prepaid.html

ノートパソコンとビデオカメラとデジカメも今回用に購入した。また、変圧器と変換プラグセットも買ってゆく。

海外への送金手段についてはスルガ銀行のVISAデビットカードが便利との情報を得るが、手続きに公共料金領収証が必要になるため間に合わず(前回分は捨ててしまった)、CITIBANKを使うことにする。意外と時間がかかるので、遅くとも1ヶ月前には手続きを終わらせるつもりで当たった方が良い。

手数料を節約して便利に海外送金する方法
http://kaigaisokin.seesaa.net/category/6329228-1.html

日本の事務所や知人との電話にはSKYPEが便利そうだったので、ヘッドセットを購入しインストールしておく。ついでに日本国内固定電話かけ放題の月額プラン(695円)に加入。
http://www.skype.com/intl/ja/

航空チケットの手配はマンション売却の契約確定後すぐに手続きをとったが、引き渡しまでの期間が3週間しかなかったので、ぎりぎりだった。遅くとも1ヶ月前。できれば2ヶ月以上前に購入しておくことをお勧めする。

僕が準備に1年あまりもかかってしまったのは、僕の理想とする教育をネパールの現実に沿った形で実現可能なプランにまとめるためだ。調査を進め思案を巡らせるにつれ、教育の方針や内容についてもかなり変わっているが、おおよそ自分で納得できるレベルまで煮詰めた。内容については今後このブログで紹介していきたい。

2010年4月20日火曜日

ネパールへの片道切符

ネパールでNGOの現地理事を引き受けることになり、日本を離れることとなった。NGOの理事といっても給料はない。それどころか、旅費やビサ、衣食住等の滞在費を含め、すべて自腹だ。日本のNGOは寄付金や政府の助成金のみで運営しており、資金的に苦しいところが多い。そのため、現地スタッフの給与はともかく、日本人スタッフの人件費を支払うと寄付金の大半が人件費ということになりかねない。よって、小規模でまじめな活動をしている団体は無給のボランティアスタッフに支えられていることも多い。なぜ、そんな活動に参加するのですかとよく聞かれる。僕はとりあえず自分の夢を実現するためですと答えている。

僕の夢は、ネパールに身寄りのない子供たちの学校を創り、先生になることだ。僕は日本語しか話せないので、子供はネパール語と日本語そしてできれば英語を加えたマルチリンガルで育てたい。簡単なことではないが、幼児期からマルチリンガルの必要な環境に置かれた頭の柔らかい子供なら可能だと考えている。僕の目が届く範囲で、せいぜい十人弱の小さな学校を目標としている。なぜネパールなのかと問われると、僕は教員免許など持っておらず、日本では教師になる資格がない。そして、ネパールには身寄りが無く教育どころか食べるものさえ満足に与えられずに、困っている子供たちがいる。それならば、僕の理想の教育を実現するためにネパールに渡るのも、一つの生き方だと考えたからだ。

一年前、僕は人生に絶望していた。人間関係のトラブルから会社経営に失敗し、人間など信じる方が馬鹿だと考えていた。欲に目がくらんだ人間がいかに浅ましいかを嫌というほど見せつけられた。借金を抱えて倒産したわけでは無いので、いくらかの蓄えはあったが、経営に対する情熱は失っていた。端から見るとニートのような状態だったが、ただ、何もせずに自堕落な生活をしていたわけではない。どこかに自分を活かせる場所はないかと、懸命に模索していた。けれども自分が必要とされる場所は日本にはなく、僕など居なくとも日本の社会には何の支障もないのだと結論付けていた。

そんな折、ネパールで警察に弾圧されているチベッタンのブログを見かけた。それをきっかけにカースト制度や男尊女卑、人身売買や孤児達の実態を調べているうちに涙が止まらなくなった。自分にもまだこんな熱い気持ちが残っていたのだとわかり、ここで人生を投げ出すくらいなら、身寄りも将来への夢も失ってしまった子供たちのために生きてみるのも悪くはないと思ったのだ。

日本では報道されない中国の虐殺
http://www.youtube.com/watch?v=RwDG-L7P7Zo&NR=1
 女の子の人身売買(ネパール)/プラン・ジャパンhttp://www.youtube.com/user/planjapantv#p/u/10/wk86oUsT8Yo

自分でも青くさいと思う。しかし、日本で生きる目標を失い後進国に旅立つ人には比較的ありがちなパターンでは無いかと思う。この一年、ネパールの現状については自分なりに調査と分析を重ね、なんとかやっていけるのでは無いかと思えるだけの準備はした。むろんリスクは少なくはない。新宿にあったマンションは今日売却した。もう日本に帰る場所はない。どういう結末に至るかはまだわからないが、これからの足跡をブログという形で残してみたいと思う。僕同様にネパールへ旅立つ人が居れば、その役に立つ情報も載せていきたい。