ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2011年1月10日月曜日

ネパールの情報化推進サイト

ネパールで現在一番力を入れなければならない開発案件は情報化だという意見がある。僕もこの意見に賛成である。海外からの資金援助はこの国を大きく発展させてきたが、同時に政治や官僚の腐敗を生み自立性を失わせた。海外からの資金援助で始められたプロジェクトが、そのプロジェクト期間のみ活動し終了と共に解散してしまう例は非常に多い。(最近では過去の反省から改善されてきている。)僕は資金援助ではなく情報化を支援する一個人としてインターネットの情報サイトを立ち上げる準備をしている。

情報サイトはWikiaを使い、最初はネパールでの生活情報や保健衛生知識、政治経済の基礎知識やビジネス情報を載せて行こうと考えている。そんなサイトは沢山在るではないかと言われればそのとおりである。ただ、個人のブログ等は沢山あっても、実際に有用な情報を集め必要な情報を検索できるサイトは無い。新聞に掲載される情報に関しても、政治屋の縄張り争い等どうしようもなく低レベルな記事がほとんどである。これでは国民の意識レベルは向上しない。最初は日本語のみの為、保健衛生や現地で手に入る食材や便利な品物等の買い物情報から、彼女にネパール語の翻訳をお願い出来るようになってからは生活をより豊かで便利に出来る情報を載せていきたい。

ネパールで無償のNGO活動というと大変な事をしているように聞こえるかもしれないが、実際にはそんなことは無い。500万ルピーをHimalayan Bankの一年定期預金に預ける際利子を交渉すれば年利11.5%になり、利子だけで生活していく事が出来る。仕事や生活の支援をしてくれるスタッフが必要なら日本語学校等を周れば月に1万ルピーもかからない。(僕の場合は今の彼女が無償で手伝ってくれた。)家電製品や家具なども日本に比べると品質やセンスに問題のある物が多いが、探せばそれなりに良い物が日本よりも遥かに安く手に入る。家賃などは月1万ルピーで夫婦二人でそれなりの生活ができる部屋が借りられる。食事等も良いレストランは探せばあるし、自炊をすれば日本と変わらない食事も出来る。日本では今時少ない素直でかわいい彼女と結婚も出来、ネパール人女性と結婚をすればビサの取得も問題はなくなる。きちんとした情報収集さえ出来れば、円高不況で大変な日本と異なり、ネパールでは結構楽な生活ができるのだ。

それは多くのネパール人にとっても言えることである。マイクロファイナンスで融資を受けビジネスを始めることもできるし、農業でもカトマンズでの卸売価格を知っていれば業者に買い叩かれることも無い。灌漑や施肥を導入し市場価値の高い商品作物を育てれば生産性と収入は大幅に増える。基礎教育を普及させ情報を活用出来るようになればネパールも豊かな国になれる可能性を持っている。

最初は日本語から始める観光やNGO向けのカトマンズに限定したサイトであっても、将来的にはネパール語や英語等でネパール全土を豊かに出来る情報化支援を目標としたい。奨学金制度はネパール全土でかなりの件数に上っているが、学歴はあっても地方の貧困者は良い仕事に就く事が出来ない。そんな人達に村の情報化を推進するためのインターネットとパソコンとプリンターとデジカメを貸し与えるのだ。村の情報化推進要員として、インターネットカフェを開き、農作物の価格動向や商品作物のニーズ、農業技術や国内・国際情勢を伝えていければ村の知識水準と生活水準は向上する。NGOと連携したプロジェクトについても導入した技術内容や品種を他の村でも利用できるように公開しておけばそのプロジェクトの有効性は高まるし、今後は高い成果を出し情報を公開している村を優先的にプロジェクトの提携先に選ぶようにすればNGOのプロジェクトに対するモチベーションもあがる。これからは貧しい者に援助を与えるのではなく、貧しくとも努力をして成果を出した者に技術支援と融資や投資を行うように変えていかなければネパールは良くならないと思う。そして、その為には情報基盤の整備が必要とされているのである。

2011年1月8日土曜日

ブログ再開

長い間ブログを更新しなかったのには訳がある。情報流出等を恐れてか、所属していた先のNGO理事長が事ある毎に小言を言うのである。理事長がつけていたブログが更新されなくなった原因の一つかもしれないという見方もあり、このブログの更新は止めていた。
しかし、この度NGOを辞める事となったのでこのブログも再開することにする。NGOを止めることになった理由は、僕がやりたいことは今のNGOがやっている事とは異なり、このままここに居続けてもそれが実現する事は無いからだ。そして、近いうちにネパール人の彼女と結婚しようという話になったので、今後は彼女と一緒に出来ることを探したほうが良いと思ったからである。

彼女は日本語学校の先生で、僕とは年齢が十九歳も離れていたりする。日本では犯罪だと言われそうだが、ネパールなら在りである。彼女は他のネパール人と結婚するより僕と結婚するほうが幸せになれると思うし、そして僕は彼女を大切にしていくつもりだ。僕がネパールで子供を育てるために学校を創りたいという話にも一応は賛成してくれている。もっとも仕事をきちんとして家を買える位のお金が貯まったらという前提条件付ではあるが・・・。

そんな訳で、僕は急いでお金を稼がねば為らない事になった。今あるお金でも田舎に家を建て、残ったお金の銀行利子で生活する程度のことは出来るのだが、カトマンズを離れるのは嫌だと言われている。その位の障害は何とかして見せなければ、ネパールで理想の教育を実現するなど無理な話だ。ネパール語の話せない僕がこちらで仕事を探すのは大変なのだが、彼女の名義で会社を設立する等方法はいくつかある。ここからが僕の腕の見せ所だ。
乞うご期待!!