ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2010年5月15日土曜日

人間教育の必要性

以前幼児教育のコーナーで、井深理論EDAペアスクールを紹介した。僕はネパールのような多様な少数民族が存在し、カースト制度のような差別が存在する社会で必要な教育は、まさに親子が一体になったEDAペアスクールのような教育だと思っている。

ネパールのような国で必要なのは、高度な微分積分でも遺伝子操作理論でもない。約束を守ること。時間・納期を守ること。嘘をつかないこと。思いやりの心を持つこと。そんな当たり前のことを一つ一つ積み重ねていくことだと思っている。

僕が両親から学んだ一番大切なことは、当たり前のことを当たり前にきちんとすることである。僕はこの年になってそれがいまだに出来ていないが・・・。
けれども僕の両親は、僕の前でただの一度も嘘をついたことがなく、約束を破ったことがなく、親戚が白地手形に印鑑を押すという大ボケをかまして、暴力団に追い回された時も消して見捨てることなく、最後まで辛抱強く交渉に当たった。

年を経るに従って、人間は色んな物が見えるようになってくる。僕の両親は聖人君子ではない。けれども、僕や姉の前では良い親であろうとし、辛い時も、怖いときも、一生懸命良き人、正しい人間であろうとやせ我慢をしていたのだ。

僕はそんな両親を尊敬している。いくら高度な知能教育を受けようとも、思いやりの心やモラルを持たず、打算と保身と世間体にのみ知力を注ぐ人間など、頭の良い昆虫と大差はない。はっきり言ってそういう人間は要領が良く、ハイセンスで、世渡り上手だ。そういう人間が教育を受けていない純朴な人間を食い物にする。しかし、僕はそういった人間が羨ましいとも、幸せそうだとも思わない。哀れむつもりも毛頭ない。昆虫の様に自分とは全く異質な生き物だと感じているだけだ。

どうすれば、このような国の人々を幸せにしてあげることが出来るのであろうか?僕はこの国を変えていくのに必要なことは、親子が一体になった早期教育だと思っている。母親だけではいけない。父親にも教育の必要性とモラル、そして子供に規範を示す矜持が必要だと思っている。多数の少数民族がいる国では共通語を幼少時から覚える必要性があるし、モラルや思いやりのある人間として人間の基礎を創る事、その為の規範を示すことは、簡単に出来ることではない。

そのために僕は皆の導きの星となるかわいい子供、アイドルを育てたいと思っている。身寄りのない子供、アウトカーストとさげすまれる子供たちが、きちんとした教育を受け、愛され、さまざまな試練を乗り越えることで、どのような人間に成長するのかを人々の目に示したいのである。

僕は、この国をより良く変えてゆく人間はこの国の人間であるべきであると考えいる。僕はこの国の教育という分野において、ほんのちょっぴり、その手助けをしたい。

願わくば、その子供たちが混迷する社会を導く星の心を宿す有志たらんことを。