ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2010年4月20日火曜日

ネパールへの片道切符

ネパールでNGOの現地理事を引き受けることになり、日本を離れることとなった。NGOの理事といっても給料はない。それどころか、旅費やビサ、衣食住等の滞在費を含め、すべて自腹だ。日本のNGOは寄付金や政府の助成金のみで運営しており、資金的に苦しいところが多い。そのため、現地スタッフの給与はともかく、日本人スタッフの人件費を支払うと寄付金の大半が人件費ということになりかねない。よって、小規模でまじめな活動をしている団体は無給のボランティアスタッフに支えられていることも多い。なぜ、そんな活動に参加するのですかとよく聞かれる。僕はとりあえず自分の夢を実現するためですと答えている。

僕の夢は、ネパールに身寄りのない子供たちの学校を創り、先生になることだ。僕は日本語しか話せないので、子供はネパール語と日本語そしてできれば英語を加えたマルチリンガルで育てたい。簡単なことではないが、幼児期からマルチリンガルの必要な環境に置かれた頭の柔らかい子供なら可能だと考えている。僕の目が届く範囲で、せいぜい十人弱の小さな学校を目標としている。なぜネパールなのかと問われると、僕は教員免許など持っておらず、日本では教師になる資格がない。そして、ネパールには身寄りが無く教育どころか食べるものさえ満足に与えられずに、困っている子供たちがいる。それならば、僕の理想の教育を実現するためにネパールに渡るのも、一つの生き方だと考えたからだ。

一年前、僕は人生に絶望していた。人間関係のトラブルから会社経営に失敗し、人間など信じる方が馬鹿だと考えていた。欲に目がくらんだ人間がいかに浅ましいかを嫌というほど見せつけられた。借金を抱えて倒産したわけでは無いので、いくらかの蓄えはあったが、経営に対する情熱は失っていた。端から見るとニートのような状態だったが、ただ、何もせずに自堕落な生活をしていたわけではない。どこかに自分を活かせる場所はないかと、懸命に模索していた。けれども自分が必要とされる場所は日本にはなく、僕など居なくとも日本の社会には何の支障もないのだと結論付けていた。

そんな折、ネパールで警察に弾圧されているチベッタンのブログを見かけた。それをきっかけにカースト制度や男尊女卑、人身売買や孤児達の実態を調べているうちに涙が止まらなくなった。自分にもまだこんな熱い気持ちが残っていたのだとわかり、ここで人生を投げ出すくらいなら、身寄りも将来への夢も失ってしまった子供たちのために生きてみるのも悪くはないと思ったのだ。

日本では報道されない中国の虐殺
http://www.youtube.com/watch?v=RwDG-L7P7Zo&NR=1
 女の子の人身売買(ネパール)/プラン・ジャパンhttp://www.youtube.com/user/planjapantv#p/u/10/wk86oUsT8Yo

自分でも青くさいと思う。しかし、日本で生きる目標を失い後進国に旅立つ人には比較的ありがちなパターンでは無いかと思う。この一年、ネパールの現状については自分なりに調査と分析を重ね、なんとかやっていけるのでは無いかと思えるだけの準備はした。むろんリスクは少なくはない。新宿にあったマンションは今日売却した。もう日本に帰る場所はない。どういう結末に至るかはまだわからないが、これからの足跡をブログという形で残してみたいと思う。僕同様にネパールへ旅立つ人が居れば、その役に立つ情報も載せていきたい。