ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2010年6月2日水曜日

文化の違いと社会の闇

僕は自己紹介をするとき、一応NGOに所属しているボランティアですと名乗っている。しかし、実際のところ僕はボランティアという言葉が好きではない。ボランティアという言葉は欧米人の文化が作り出した言葉で、ノブレス・オブリージュ(上流階級の高貴な義務)的印象を日本人の僕は感じてしまう。
孤児院でボランティア活動ををしていた人から、ボランティア活動をしているとその人達の国民性がはっきり出るといっていた。オムツの洗濯等の汚れ仕事をしているのは、日本人か韓国人。欧米人は子供たちの遊び相手になったり、本を読み聞かせたりしても、汚れ仕事に手を出す人は少ないと聞く。しかし、企業や個人の寄付金は日本人と違い、かなりの額を自分の仕事が苦しいときも出すという。

僕は基本的に慈善団体に寄付などしない。困っている人に相談を受ければ、その人間が好感の持てる相手であれば、かなり親身になって相談にのる。
ただし、最初から人任せだったり、自分で努力をしようとしない人間には手を貸さないことにした。基本的にはみんながうまくやっていければいいと思っているが、現実には善意だけでは世の中が良くならない事も身をもって理解した。

ネパールに来たのはさすがにこの国の子供達の状況は酷すぎると感じたからであるが、カトマンズで普通に生活をしている限り、人々は善良で活気に満ちており、そこまでひどい光景を目にすることは少ない。ストリートチルドレンや子供をつれた物乞いを見かけるときはさすがにやるせない気持ちになるが、お金を上げれば解決するような問題では決してない。そして、今の僕には見えていない深い闇がこの国には間違いなくある。

僕は過去に人間を過信して痛い目にあったことが何度もある。それでもみんなが幸せに過ごせる居心地のいい会社を作ろうとした。そしてようやく、僕は自分が人間に幻想を抱いていたのだと気がついた。人間は信じたいものを信じる。僕は幸せな子供時代を送ったのだろう。僕の夢は幸せな家庭と、信頼できる友人を持ち、そして誇りを持てる仕事が出来れば良いと思っていた。ささやかな夢のつもりであったが現実は小説や映画のようにドラマティックなものではなく、自分が現実を直視することなく夢を追っていたのだと思い知らされた。

日本で僕の夢が叶う事はついになかった。僕の事をかなり真剣に心配をしてくれた人はいた。けれども夢を失い、自分の生きる意味を失い、あまりに情けない当時の自分を、自分が好意を持っている人に見られる事も助力を求めることも、僕の様な人間には決して出来ないことだった。

僕は現在のネパールを明治維新当時の日本に重ねて見ることがある。バンダやかつてのマオイストのテロ活動など何をやっているのだとあきれることもあるが、あの坂本龍馬ですら勝海舟を斬りに行ったという話すらある(デマ?)。開発途上国で、苦しい生活に耐え忍びながら、地道に生きてきた人間やまじめに勉強を積み重ねてきた人間が仕事を見つけることが出来ない。そして、都市部で贅沢な生活をしている中流・上流階層の生活格差を見せ付けられ、これは国の政治に問題があるのだと言われれば、きちんとした教育を受け、余程しっかりとした目で現状を見つめることができる人以外、簡単に扇動されてしまうだろう。

そして、ネパールはこれから先の世界を動かしていくと目される、中国とインドに隣接した内陸国である。チベットと同じ運命をたどらないとは限らない。
この国の未来を憂い、先進国での就職の機会を得ながらもネパールへの帰国を選んだ友人が僕にはいる。しかし、コネ社会のネパールでは学歴も能力も活かすことが出来ずにホテルの仕事をしている。泊り込みで休日もなく、4ヶ国語を話せるにもかかわらず月額2500ルピーで仕事をしていると聞いたときはさすがに驚いた。客のチップ等がなければ生活すら出来ないという。

この国の現実を知るにつれ、やりきれない気持ちになることは少なくない。