ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2010年6月29日火曜日

コミュニティーと文化

先日、同じホテルに泊まっているJICAシニアボランティアの女性と話しをした。語学力については現地に4年いたというだけあって、英語もネパール語もスムーズに話していた。現地の事情にも詳しく、参考になる話も多かった。

一番参考になった話はコミュニティーについての話だった。ネパールの人達は親族やコミュニティーの関係を大切にする。僕が理想と考えているような教育を孤児や貧困に苦しむ母子に対して行うことは、その人達をネパールのコミュニティーから断ち切ることだと指摘された。全く考えたことがなかった訳ではないが、僕がやろうとしていることは新しいコミュニティーを創ろうとしていることだと改めて自覚させられた。しかも、他国に・・・。

その子供たちの将来について色々と考えてきたつもりであったが、その子の母親については・・・? 自分の子供が外国語を話し、自分の家族以外と家族のように親密な会話をしていればどう感じるであろうか?ネパール語で教育をしたとしても、ネパールには様々な民族とカーストがある。その辺りへの配慮を欠くと、母親がそれまで築いてきた人間関係のすべてを壊してしまいかねない。
いくら本やインターネットで調べたつもりでも、僕の浅い知識と経験では想像しきれないことなどいくらでもある。だからといって何も行動しないとことは自分のアイデンティティーの放棄だと僕は思う。色々と調べ、考え、行動し、そして良くないことは正して行かなければならない。

僕はネパールの文化を大切にしたいと考えているが、そのすべてを肯定するつもりは無い。明治維新以降、そして第二次世界大戦以降の日本文化の変革は世界の歴史の中でも最も大きな変化だったと思われる。しかし、我々は日本人としての文化を昔とは違ったものではあれ継承している。江戸時代や弥生時代の昔に生まれた方が良かったと考えたことは無い。

人間が赤ん坊から大人になる過程で、様々な人々との関係の中、色々な経験や知識を得て成長していくように、文化も様々な異文化と接触し変化していくのであろう。それは決して悪いことではなく、それぞれの文化の独自性を保ちながらも良くない伝統を断ち切り、合理的な思想を取り入れて変わってゆくことは文化の成熟に必要なことだと考える。僕は生命進化の原則の一つが多様性であるように、文化にも多様性は必要だと考えている。文化の変容や成熟は必要なことであっても、それは決して情報統制や侵略戦争のような文化の破壊や強制であってはいけないと思う。

僕のやろうとしていることは独善による押し付けではないかと考えさせられることがある。だからと言って止めるつもりはない。差別と貧困の中で失われている命を哀しく思う心は人間として当たり前のことだと思うし、差別や弾圧を知っていて何もしないのは加担しているのと同じことだと思うから。

2010年6月23日水曜日

カトマンズ市のゴミ処理問題3

カトマンズ市の職員はやはり仕事に関する責任感を全く持っていない人だった。生ゴミの堆肥化(インバートメント)については充分な研究と実績があるというので現場の見学を申し出たが、多忙を理由に4回約束をすっぽかされた。学生達に指導をする我々が充分な知識と実務経験を持っていなければ話にならない。それなりの資料は作っていたが、実績を確認することは出来ず、信頼する気は毛頭無かった。
仕方が無いのでインターネットで資料を調べ、いくつかの方法を試行することにした。愛媛AI-2と米ぬかによる好気性微生物、そしてEM1号を日本から取り寄せ試してみることにした。
学生に堆肥を作る指導をする際には、学校のクラス単位でまずボカシを作る事から初め、それを各家庭に広める方法が現実的に思えた。こちらでボカシを作った上で私立校の寄宿舎の人達と堆肥を作ってみることにした。
しかし、予算と計画書を既に作っているはずの市の職員からは何の連絡もない。最低限の予算で作れる方法を検討する必要がある。各家庭にコンポスト用のバケツを配る資金など望むべくも無い。米ぬかや籾殻等を大量に入手する先も探さなければならない。正直な話こんな杜撰なプロジェクトをうまく行かせようと言うほうが無理な気がする。
市の職員と最初に仕事をした際、当てにならない味方は敵以上に脅威だと理事長に進言した記憶がある。本当に厄介なことになりそうだ。

2010年6月15日火曜日

情けは人のためならず

僕は事務所から一切お金をもらっていない。事務所にもPCやコピー機等充分な備品を購入するお金がない。よって、何らかの方法でお金を稼がねばならない。

現在のところシラジットというアユールヴェーダ系の健康食品?やNUPURという整髪剤?等、日本で手に入らないものを日本の知人の依頼で個人通信販売代行業をしている。テストケースなのでたいした利益は無い。しかし、反響が良いようなら、GoogleADWordsやAmazon等インターネットを通しての個人の通信販売代行も考えて行きたい。

フェアトレード等についてもいろいろ調べている。以前にも書いたように、僕はネパールのような国にこそ早期教育が必要だと思っている。差別と貧困に苦しんでいる母子家庭はネパールやインドでは非常に多い。子供に物乞いをさせている母親をカトマンズでは良く見かけるが、そういう生活が当たり前になってしまってからでは僕には手の施しようがない。そうなる前に技術と仕事、充分な栄養のある食事と誇りをもった生き方を取り戻してもらわねばならない。

そのために、日本からの技術支援や、母親が働いている時間に子供に日本語の絵本を読んであげたり、折り紙を教えてあげたりといったボランティアの支援が必要となる。
ネパールではアウトカーストの人達は自らをダリッド(壊された人達)と呼んでいる。虐げられ、日本では考えられない貧困の中で生活してきた人達では、誇りと自立心を持った子供を育てることなどほとんど不可能と言って良い。

日本で定年退職をした人達の選択肢の一つとして、快適な老人ホームに入ることより、恵まれない人達に文化を伝えることも考えてもらいたい。ネパールには日本のように充分な医療機関は無い。けれども病院のベットで薬漬けになって息を引き取るより、子供たちの笑顔に囲まれ短くとも生甲斐のある人生を送れるほうが僕には余程魅力的な生き方に感じられる。

日本の年金は破綻状態にあるとよく言われてる。今後、十年二十年後に今の年金額が支払われることはまず無いと思われる。けれどもネパールでなら月に3万円や5万円もあれば、それほど生活に困ることなく生きていける。そして、個人的にはネパールに必要なのは寄付金ではなく海外からの出資だと考えている。誇りと感謝の心を持つ人達が勤勉に働くようになればこの国はきっとすばらしい国になる。

僕は前にネパールにはアジアのスイスを目標にして欲しいと書いたことがある。日本人だけでなく、いろいろな先進国の人達が老後をこの国で過ごすようになれば、中国とインドという将来世界で最も力を持つであろう大国もネパールに無理な要求を出来なくなる。自国民が居住している以上、多くの先進国に庇って貰えると考えられるからである。この国が平和を維持するためには先進国の長期滞在を受け入れやすくすることが一番良い方法だと思うのである。

2010年6月14日月曜日

ネパールへの長期滞在の壁

こちらに来てから迷っていたことがある。NGO活動を行うに当たってネパールでの長期滞在VISAをどうやって取るかについてである。理事長の話では今までのカトマンズ事務所はすべて自分でVISAを取得していたらしい。
まず、このNGOで長期的にやって行けるのかという問題がある。僕の理想はあくまで自分を慕ってくれる身寄りのない子供たちのために小さな学校を創りたい。ただそれだけである。困っている人を助けてあげたいという気持ちは僕の中にもある。ネパールが抱えている人身売買や人種差別、貧困や都市インフラ等の問題を理事長が解決したいと考えているのならその手助けをしたいと本気で思っていた。しかし、うちの理事長は「我わが道を行く」タイプの人で僕の意見に耳を貸すことはほとんど無い。孤児院を建設するというプロジェクトは現実に動き出しているが、その中に僕の理想の教育に対する理念が組み入れられることは無い。そして、日本語が話せるスタッフ二人は理事長に命令された仕事をこなすことに手一杯で僕が彼らの力を借りることはほとんど出来ない。つまり、ネパール語が話せない僕はこの国に来て自分で誇りに思える仕事をしたことなどまだ一度も無いのだ。

そして、この国で長期滞在のVISAをとるのは簡単なことではない。ノンツアリストビサを取るのは非常に面倒な手続きが必要でかなりのお金もかかる。トリブヴァン大学付属のビソバサ日本語学校に入学するためのスタディービサ位ならそれほど苦労はしないが、せいぜい数年の滞在が限度だ。ネパリの女性と結婚するのが一番楽だが、長期滞在をするVISAを取得するために心の通い合っていない女性と結婚するなど論外だ。

正直な気持ちとして、ネパールの法律と公務員の勤務態度を見ているとネパールで困っている人達の力になってあげたいという気持ちが萎えて来る。世界中に困っている子供達がいる国などたくさんある。どうしてもネパールで活動をしなければならない理由は僕には無い。

事務所に任せていてもなかなか動き出しそうに無かったので、自分で出来るところまでやってみることにした。正規の続きでVISAが取れないなら、この国から去るだけだ。
僕がそう口にしたとき、日本語の話せるネパール人の友人が仕事を休んで手伝いに来てくれた。子供たちの力になりたいという夢を持ってネパールに来たなら簡単にあきらめないで欲しい。自分も出来る限り力になりますといってくれた。彼の両親は彼が7歳の時に亡くなっている。それ以降はおばさんの家で育てられ、日本にも留学している。もちろん、お金等は一切請求されていない。

カトマンズでは日本人を見るとお金目当てで近づいてくる人間も少なくないが、旅行雑誌で書かれているように危ない人達ばかりでは無い。パスポートを置き忘れたとき届けてくれた人。風邪で体調を崩したとき薬をくれた人、そして、今回のように自分の仕事を休んでまで力になってくれる人もいる。この国の素朴でやさしい人達のために、出来る限りのことをしてみようと思った。

2010年6月10日木曜日

ダンプス視察



所属するNGOが建設している学校を視察するためにダンプスに行った。ダンプスはカトマンズからポカラを経由した先にある、ヒマラヤの麓の町だ。ポカラまでの道は舗装がしっかりしておりバス7時間程度で着くが、そこからの道は車がジェットコースターに思えるほどの岩だらけの道のりだった。観光のゆとりは無かったが、3日間の日程は山岳民族の生活を知る上でも教育の実態を知る上でも僕には実りの多いものだった。
世界一周をしている日本人の知り合いも出来、最近のチベット情勢についての話を聞くことも出来た。
工事そのものは順調ということで、村人や子供たちにもたいそう歓迎してもらった。村の女性たちからも歓迎を受け43歳の僕がなんと13歳の女の子にお嫁さんにしてくださいと言われてしまった。もちろん冗談でまじめに受け取るととんでもないことになる。ネパリの女性はお祭り騒ぎのときなど陽気だが基本的に慎み深い。ダンプスのような田舎町で下手なことをすると冗談抜きで父親に殺されかねない。基本的に日本のNGOが信頼されているからお祭り騒ぎの冗談で済むのだ。

ダンプスの丘から見る朝のヒマラヤ山脈は少し雲に隠れてはいたが美しかった。トレッキングにネパールまでやってくる気持ちもすがすがしい空気と共に心の内に広がってきた。

工事内容は順調ということだったが、やはりネパールだと感じさせられるところばかりだった。2年前に法律で耐震基準が変わって頑丈になっているとの事だったが、この村の子供が一日の半分をこの校舎で過ごすのかと思うと正直胸が苦しくなる。確かに鉄筋コンクリートの鉄筋は太くなり、レンガの耐久性も増しているとの説明は理解できた。しかし、ネパールには70~100年に一度の割合で大きな地震が起きている。前回の地震から70年。カトマンズにある多くの建物に比べればかなりましだと感じたが、次に地震が起きたときには一体どれだけの人達が亡くなるのだろうか?
しかし、学校建設は普段貧しい農家をしている村人たちの経済を支える一面も持っている。時々はいろいろな工事をしていると思われる普通の村人に高度な建築技法など理解できるはずもない。外国の技術者が手取り足取り指導しても、本当の意味でこの国の為になるとは思えないし、そんな資金などどこにも無い。

たとえ遠回りでもこの学校建設は意味があるのだと納得するよりなかった。
ヒマラヤの写真を載せたかったのだが、工事現場の写真をたくさん撮ったため電池がなくなってしまった。
カトマンズのホテルに戻ってからは、また停電。雨季で客が減り自家発電を節約しているように思える。

2010年6月5日土曜日

世界経済グローバリゼーションの危機2

先日世界経済グローバリゼーションの危機1で書いたように、欧米の経済は危機的状況に陥り、日本の経済も深刻な打撃を受けるであろうと僕は予測している。
しかし、通貨のデフォルトがすべての人の生活を絶望的な状況に追い込むわけではない。

将来の危険性を予測して、適切な対策をたてておけば別に大騒ぎをするほどのことでもない。預金の一部を金やプラチナなどの貴金属に換金しておくのも良いし、食糧難に備え農家に転職するのも良い。ネパールでも有機農業を広めるためにがんばっている日本人がいる。莫大な借金を抱えて大規模農業をやっている人など、逆に大もうけをする可能性もある。

要はきちんとした情報に基づいた危機対策をきちんとたてておけば良いというだけの事だ。国家レベルできちんとした対策をたてておいてくれれば、国民は安心して生活できるのだろうが、今の政府にそれを期待するのは楽観主義を通り越し、脳天気と呼ぶべきだろう。

現在中国が為替操作国として、世界の非難を浴びている。私もボランティアで無収入状態になることから人民元の購入を資産運用として検討したことがある。しかし、中国政府がドルを買支え実質米ドルペッグ制となっていること。また、中国国内の銀行で本人がパスポートを提示しないと口座を開けないことや、一日毎・一年毎の両替金額上限を決め、その金額を超える場合は申請と認可が無いと出来ないことから為替レートの変動がしにくい。おまけに人民元のFXでは売買両方にマイナススワップが発生するため長期保有に向かない。

アメリカ財務省は議会から、中国が「為替操作国」であるかどうか判定するよう命じられているというが、明らかな為替に対する国家の過剰干渉だろう。このままでは中国は世界から孤立する可能性も高い。おまけに、国内の貧富の差や民族問題から長期的には国家分裂の危険性も秘めている。

貧富の差や民族問題を秘めているのはインドも同様である。現在は両国ともに経済が発展状態にあり、国民は自らの生活を向上させることに関心の大部分を向けている。しかし、その経済成長が停滞し、低所得者階級の不満が政府へと向かった時にどういう問題が発生するのか僕には予測がつかない。

第二次世界大戦終戦から現在に至るまでの時代、特に先進国では最も平和で物が豊かだった時代なのかもしれない。しかし、これからは混迷の時代が到来しそうに思える。今のところ引き金になりそうなのはPIIGSの通貨危機あたりだろうか?保護主義とブロック経済が広がり、中国がアメリカに代わって台頭しそうに思える。
資源や食料の輸出入をめぐる各国の対立も深刻化しそうに思える。

災害エスノグラフィー同様に通貨危機に対する対処法も事前にまとめておくことで、そこから派生する被害を最小限に抑えることが出来ないであろうか。

食料自給率が41%とはいえ、家畜に食べさせる穀物を食料にすればなんとか食料は自給できるし、食糧を配給制にすれば、就業中の人も仕事に専念できるだろう。失業率は激増するであろうが、食料の配給と交換条件に、経済復興の事業に協力してもらうことも可能なはずだ。深刻な経済の構造問題を抱え、政治の機能不全を抱える日本のような国は、余程大きな危機的状況に陥るまで、再生できないだろう。

日本の累積債務はほとんど国内の金融機関によって買い支えられている。政府が明快な累積債務に対する返済方針を出し合意を得るまでに、株式市場等を停止しておけば経済の混乱は少なくて済むはずだ。
現代社会の持つ構造問題を明確に把握し、世界と平和的に共生できるビジョンとリーダーシップをもつ政治家を求めるのは無理なのであろうか?

2010年6月2日水曜日

文化の違いと社会の闇

僕は自己紹介をするとき、一応NGOに所属しているボランティアですと名乗っている。しかし、実際のところ僕はボランティアという言葉が好きではない。ボランティアという言葉は欧米人の文化が作り出した言葉で、ノブレス・オブリージュ(上流階級の高貴な義務)的印象を日本人の僕は感じてしまう。
孤児院でボランティア活動ををしていた人から、ボランティア活動をしているとその人達の国民性がはっきり出るといっていた。オムツの洗濯等の汚れ仕事をしているのは、日本人か韓国人。欧米人は子供たちの遊び相手になったり、本を読み聞かせたりしても、汚れ仕事に手を出す人は少ないと聞く。しかし、企業や個人の寄付金は日本人と違い、かなりの額を自分の仕事が苦しいときも出すという。

僕は基本的に慈善団体に寄付などしない。困っている人に相談を受ければ、その人間が好感の持てる相手であれば、かなり親身になって相談にのる。
ただし、最初から人任せだったり、自分で努力をしようとしない人間には手を貸さないことにした。基本的にはみんながうまくやっていければいいと思っているが、現実には善意だけでは世の中が良くならない事も身をもって理解した。

ネパールに来たのはさすがにこの国の子供達の状況は酷すぎると感じたからであるが、カトマンズで普通に生活をしている限り、人々は善良で活気に満ちており、そこまでひどい光景を目にすることは少ない。ストリートチルドレンや子供をつれた物乞いを見かけるときはさすがにやるせない気持ちになるが、お金を上げれば解決するような問題では決してない。そして、今の僕には見えていない深い闇がこの国には間違いなくある。

僕は過去に人間を過信して痛い目にあったことが何度もある。それでもみんなが幸せに過ごせる居心地のいい会社を作ろうとした。そしてようやく、僕は自分が人間に幻想を抱いていたのだと気がついた。人間は信じたいものを信じる。僕は幸せな子供時代を送ったのだろう。僕の夢は幸せな家庭と、信頼できる友人を持ち、そして誇りを持てる仕事が出来れば良いと思っていた。ささやかな夢のつもりであったが現実は小説や映画のようにドラマティックなものではなく、自分が現実を直視することなく夢を追っていたのだと思い知らされた。

日本で僕の夢が叶う事はついになかった。僕の事をかなり真剣に心配をしてくれた人はいた。けれども夢を失い、自分の生きる意味を失い、あまりに情けない当時の自分を、自分が好意を持っている人に見られる事も助力を求めることも、僕の様な人間には決して出来ないことだった。

僕は現在のネパールを明治維新当時の日本に重ねて見ることがある。バンダやかつてのマオイストのテロ活動など何をやっているのだとあきれることもあるが、あの坂本龍馬ですら勝海舟を斬りに行ったという話すらある(デマ?)。開発途上国で、苦しい生活に耐え忍びながら、地道に生きてきた人間やまじめに勉強を積み重ねてきた人間が仕事を見つけることが出来ない。そして、都市部で贅沢な生活をしている中流・上流階層の生活格差を見せ付けられ、これは国の政治に問題があるのだと言われれば、きちんとした教育を受け、余程しっかりとした目で現状を見つめることができる人以外、簡単に扇動されてしまうだろう。

そして、ネパールはこれから先の世界を動かしていくと目される、中国とインドに隣接した内陸国である。チベットと同じ運命をたどらないとは限らない。
この国の未来を憂い、先進国での就職の機会を得ながらもネパールへの帰国を選んだ友人が僕にはいる。しかし、コネ社会のネパールでは学歴も能力も活かすことが出来ずにホテルの仕事をしている。泊り込みで休日もなく、4ヶ国語を話せるにもかかわらず月額2500ルピーで仕事をしていると聞いたときはさすがに驚いた。客のチップ等がなければ生活すら出来ないという。

この国の現実を知るにつれ、やりきれない気持ちになることは少なくない。