ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2010年9月24日金曜日

知的共産主義のススメ

ネパールの都市部では子供の教育熱が過熱しており、幼児からの詰め込み教育が普及しつつある。私立学校では暗記を中心とした詰め込み教育から音楽等の教養を取り入れた教育にシフトしつつあるが、バランスのとれた知識や教養を身につけるには本や教養番組等の情報量が絶対的に不足しているように感じる。

以前、ブログの教育の原点で、「自分の思考・感性・知性は自分だけのものだと考えている人は多いが、自我とは己一人で作り上げたものでは決してない。先人から受け継いだ、言語・知識・文化等の土台があり、自分を取り巻く多くの人々との有機的な関係を経て、初めて成り立つものである。」と書いた事がある。
僕は、知的所有権を後進国に押し付けるのはアンフェアで非合理的だと考えている。知性の本質が知識の統合し環境・状況に応じて応用する力だとするなら、知識の絶対量が少ない後進国の人達はビジネスや技術開発競争において先進国の人達に対抗し得ない。現在進んでいる世界経済のグローバル化は格差社会を助長する根源的な欠陥を抱えたシステムだと僕は思っている。その体制を維持するために行われた様々な施策が多くの矛盾と歪みを生み、世界経済に深刻な危機を招いている。経済システムという土台が傾いている上に家(社会)を築いてもきちんとした家は建てられない。社会そのものが経済的な格差を助長し、その格差を子供や民族に受け継がせていくのなら、その様な社会は大多数の人々に幸福をもたらしはしないだろう。己のエゴのみに執着し、地球の環境を汚染し続けるのであれば、その先にあるものは破滅しかない。

僕は人間とは想いや魂そして文化を引き継ぐことの出来る動物だと思っている。知識や文化は共有することによって減るものではない。多くの人々が共有することによってより多くの人達を豊かにし、そしてより多くの改善や発展を経、受け継がれてゆくものである。
衣食足りて礼節を知る。経済的に豊かになった先進国が進むべき道は、物質的な生産力や経済力を追い求めることではなく、心の豊かさ-人間として自分自身の知性や感性を磨き、己の本質や為すべきことを思索・探求することを求めるべきではないであろうか?
未だに多くの人達が飢えと貧困に苦しむ後進国では、経済の発展を阻む要因を解明し、その文化的な要因を埋める必要性をすべての国民が理解し実践すること。
後進国の経済発展を阻害する要因参照
その為には人間性を重視した教育、そして、援助ではなく技術支援と投資こそが必要なのではないかと思っている。
僕は世界が自由で平等だなどとは考えていないが、人間がより自由に生きられる社会、本人の努力によって未来を切り開く事が出来る社会に近づけることは大切なことだと考えている。
グローバル経済に替わる新たな経済の仕組みを創り上げなければならない時期が近づいているように感じられる。