ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2011年4月26日火曜日

ネパールでの結婚


ネパールで新年を迎えた次の日、ようやく彼女との結婚式を挙げる事が出来た。僕が外国人で彼女との年齢も離れていたことから結婚に反対していた親戚も多かったのだが、結婚式には百人以上の人達が出席し楽しい雰囲気のもと行われた。。僕が外国人のため、ヒンディーの寺院で式を挙げることは出来なかったのだが、家の近くにあるパーティーパレスで結婚式を挙げ、その後パーティーパレスで披露宴?を行った。パーティーが進むと子供たちや女性たちが音楽に合わせて踊りだし、彼女や僕も一緒に踊ることとなった。ネパールの結婚式はオープンでちょっとした知り合い等でも気軽に参加しやすく、盛り上がると踊りだすことも少なくない。心配していた親戚の人達との関係もそれなりに打ち解け、受け入れてもらえたように感じる。結婚に反対していた親戚たちも、彼女のことを心配していただけで僕の事を嫌っているわけではない。結婚式の後はお祝いの電話も頻繁にかかって来て、挨拶等が大変だった。

ネパールでは結婚式の後、夫が妻の実家に泊まる儀式がある。恥ずかしい話だが、結婚するまで僕は彼女の家に一度も行った事がなかった。彼女が家に行くことを嫌がった為だが、この日は彼女の家族にたいそうもてなして貰った。確かに裕福な家ではなかったが、カトマンズ市内とは異なり自然がとても美しい場所で、家族の絆も深く、彼女がとても家族の人達に大切に育てられたのだと感じた。僕がネパール語をまだ話せないことから充分な会話は出来なかったのだが、その雰囲気は充分に感じ取れ、またこの人達ともっと打ち解けるためにネパール語を勉強しなければと思った。その後、彼女の生活を心配した兄と弟が僕たちの家に来てくれたのだが、楽しそうな彼女と家の様子を見て安心してくれたようだ。

それからようやく新婚旅行。最初はインドに行こうと言っていたのだが、この時期のインドはとにかく暑い。これからネパールでビジネスを始めるために必要な物を買いに行きたかったのだが、新婚旅行に仕事を持ち込むのもあんまりなので、今回は見送ることにした。僕はポカラにはNGOの関係で2回程来た事があったのだが、箱入り娘の彼女は今回始めて。飛行機を使っても良かったのだが、外国人はネパール人の3倍位のお金がかかるため、今回はバスを使った。しかし、バスにそれほど長く乗ったことのない彼女はバスに酔ってしまい大変だった。
ポカラは確かにきれいな町なのだが、ポカラの観光業に関わるネパール人は感じの悪い人が多い。外国人を見かけるとしつこく声をかけ、料金を吹っかけてくる人、一度決めた料金に文句をつけ料金を水増しする人。表面的な飾り付けのみに気を配り、客の立場に立ったサービスを全くしない人。こういう人達と関わると、せっかく自然の美しさに癒された心も後味の悪い物となる。レイクサイドの観光地はこういった人達が特に多い気がする。一方市街地から少し離れた農村部には今も人々の素朴な営みがある。ダムの下流では水場に人々が集い、水浴びや洗濯をしていた。ネパールの農村部に住む子供たちはどんな宝石よりもきらきらと輝く瞳で元気に遊んでいる。同じ人間であるはずなのに、どうしてこんな瞳をしているのだろうと不思議に思う事がある。いつの日か僕はこのように輝く瞳を持つ子供達と幸せな家庭をつくる事ができるのだろうか?