ネパールNGOスタッフ学校設立に向けて

2011年1月8日土曜日

ブログ再開

長い間ブログを更新しなかったのには訳がある。情報流出等を恐れてか、所属していた先のNGO理事長が事ある毎に小言を言うのである。理事長がつけていたブログが更新されなくなった原因の一つかもしれないという見方もあり、このブログの更新は止めていた。
しかし、この度NGOを辞める事となったのでこのブログも再開することにする。NGOを止めることになった理由は、僕がやりたいことは今のNGOがやっている事とは異なり、このままここに居続けてもそれが実現する事は無いからだ。そして、近いうちにネパール人の彼女と結婚しようという話になったので、今後は彼女と一緒に出来ることを探したほうが良いと思ったからである。

彼女は日本語学校の先生で、僕とは年齢が十九歳も離れていたりする。日本では犯罪だと言われそうだが、ネパールなら在りである。彼女は他のネパール人と結婚するより僕と結婚するほうが幸せになれると思うし、そして僕は彼女を大切にしていくつもりだ。僕がネパールで子供を育てるために学校を創りたいという話にも一応は賛成してくれている。もっとも仕事をきちんとして家を買える位のお金が貯まったらという前提条件付ではあるが・・・。

そんな訳で、僕は急いでお金を稼がねば為らない事になった。今あるお金でも田舎に家を建て、残ったお金の銀行利子で生活する程度のことは出来るのだが、カトマンズを離れるのは嫌だと言われている。その位の障害は何とかして見せなければ、ネパールで理想の教育を実現するなど無理な話だ。ネパール語の話せない僕がこちらで仕事を探すのは大変なのだが、彼女の名義で会社を設立する等方法はいくつかある。ここからが僕の腕の見せ所だ。
乞うご期待!!

2010年9月24日金曜日

知的共産主義のススメ

ネパールの都市部では子供の教育熱が過熱しており、幼児からの詰め込み教育が普及しつつある。私立学校では暗記を中心とした詰め込み教育から音楽等の教養を取り入れた教育にシフトしつつあるが、バランスのとれた知識や教養を身につけるには本や教養番組等の情報量が絶対的に不足しているように感じる。

以前、ブログの教育の原点で、「自分の思考・感性・知性は自分だけのものだと考えている人は多いが、自我とは己一人で作り上げたものでは決してない。先人から受け継いだ、言語・知識・文化等の土台があり、自分を取り巻く多くの人々との有機的な関係を経て、初めて成り立つものである。」と書いた事がある。
僕は、知的所有権を後進国に押し付けるのはアンフェアで非合理的だと考えている。知性の本質が知識の統合し環境・状況に応じて応用する力だとするなら、知識の絶対量が少ない後進国の人達はビジネスや技術開発競争において先進国の人達に対抗し得ない。現在進んでいる世界経済のグローバル化は格差社会を助長する根源的な欠陥を抱えたシステムだと僕は思っている。その体制を維持するために行われた様々な施策が多くの矛盾と歪みを生み、世界経済に深刻な危機を招いている。経済システムという土台が傾いている上に家(社会)を築いてもきちんとした家は建てられない。社会そのものが経済的な格差を助長し、その格差を子供や民族に受け継がせていくのなら、その様な社会は大多数の人々に幸福をもたらしはしないだろう。己のエゴのみに執着し、地球の環境を汚染し続けるのであれば、その先にあるものは破滅しかない。

僕は人間とは想いや魂そして文化を引き継ぐことの出来る動物だと思っている。知識や文化は共有することによって減るものではない。多くの人々が共有することによってより多くの人達を豊かにし、そしてより多くの改善や発展を経、受け継がれてゆくものである。
衣食足りて礼節を知る。経済的に豊かになった先進国が進むべき道は、物質的な生産力や経済力を追い求めることではなく、心の豊かさ-人間として自分自身の知性や感性を磨き、己の本質や為すべきことを思索・探求することを求めるべきではないであろうか?
未だに多くの人達が飢えと貧困に苦しむ後進国では、経済の発展を阻む要因を解明し、その文化的な要因を埋める必要性をすべての国民が理解し実践すること。
後進国の経済発展を阻害する要因参照
その為には人間性を重視した教育、そして、援助ではなく技術支援と投資こそが必要なのではないかと思っている。
僕は世界が自由で平等だなどとは考えていないが、人間がより自由に生きられる社会、本人の努力によって未来を切り開く事が出来る社会に近づけることは大切なことだと考えている。
グローバル経済に替わる新たな経済の仕組みを創り上げなければならない時期が近づいているように感じられる。

2010年8月27日金曜日

自分探しの旅

ネパールにいると、個性的な人間に出会う確率が高いように思える。世界や社会に対して自分に出来ることをしたいという人。自分の知らない世界を体験することで見識を高めようとする人。ヒマラヤを初めとする美しい自然を愛し、安らぎを求め、あるいは自分の壁に挑戦をする人。そして、何かの壁にぶつかり、あるいは自分の生きる意味を求め、自分探しの旅を続ける人。

僕自身は日本という社会の中で自分の生きる意味を見出す事ができず、残りの人生を教育にかけてみようと考え、ネパールに訪れた人間だ。ある意味、僕自身、自分探しの旅を続けた結果ネパールという地に辿り着いたとも言える。
しかし僕は、未知の国々や文化を知ることによって自分の本質や人生の意味を知る事が出来るとは考えていない。人間という生き物を知ること、自分の本質を知ることは、地球や人類そして自分自身の歴史の中で人間同士の営みを客観的に分析することにより可能になるのでは無いかと思う。それは自分の望む幻想であってはならない。現実を直視する覚悟を持って、初めて己の進むべき道は見えてくるのだと思う。

僕は人間とは何か。魂とは何か。生きるということの意味。これまでの人生で自分なりの答えは見つけたと考えている。

僕は人間は所詮動物だと考えている。うまい物を食べたいと思うことも、安全で快適な生活をしたいと望むことも、きれいになりたい、強くなりたいと思うこと、魅力的な異性に好感をもたれたいと思うことも動物としての本能である。それらは動物として当たり前の欲求であるが、人間は社会的な動物であるが故に本能が命じる欲求のみにしたがっていたのでは社会はうまく機能しない。
人間は技術を生み出し言葉を話す事で高度な協力を実現した。それにより他の動物より優位に立つ事ができ、文字を生み出し社会を作ることで、子孫に文化を伝え、発展する事ができたのだ。
「我思うゆえに我あり」 当時高校生だった自分はデカルトの言葉を深く考えることも無く受け入れていた。しかし我とは一体何なのか?
人間は言語を介さずに高度な論理的思考を展開する事ができない。そして、言語・技術・文化は数百億もの先人達が何万年もの歳月をかけ研鑽し、練磨し、発展させてきたものだ。その基盤を無くして決して人は高度な論理的思考を為し得ない。自我とは、両親や教師、多くの書物や人間との交流の中で生まれた、ある種の集合意識といってよい。人間とは、想いや文化を、そして魂を受け継ぐ動物であると言う事ができる。しかし、同じ経験や教育を受けても人は同じ人間にはならない。それらをどう受け止め、どう解釈するかによって為り人は違ってくる。その人間としての在り方の形成に最も大きな影響を与えるのが幼児期の環境であり、そして人としてあり方に対する自覚と矜持だと思う。

僕は人間は動物であると思う。しかし、ただの動物のまま終わってはいけないと思う。人は想いを文化を、そして魂を受け継ぐ動物であるのだから。
人は一人では何も大した事はできない。そして、人と人の出会いなど単なる偶然に過ぎない。しかし、人の想いはただの偶然を運命に変える事ができる。僕は、己の想像・想い・そして意思が未来を紡ぐ事をも可能とするのだと信じたい。
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」 これは維新の志士を導いた一人とされる吉田松陰の辞世の句である。
世界の歴史を客観的に見て、江戸時代末期の日本は欧米の植民地になる可能性が極めて高かった。そして、世界のほとんどの国は帝国主義に染まった欧米列強の植民地と化し、その世界は現在のそれと大きく異なった歴史をたどった可能性は極めて高い。その歴史を覆したのが、坂本龍馬や吉田松陰を初めとする維新の志士達である。(この歴史をここで述べるには長すぎるので知らない人は自分で調べてください。)

今、人間社会は未曾有の危機にある。グローバル経済はシステムとしての破綻を来たし、人類は未だ進むべき未来を思い描けていない。人口爆発はようやく停滞の兆しを見せたが、気候大変動は避けられないであろう。これからますます激しくなる格差社会は社会的弱者を破滅に追いやる。一体何億、何十億の人達が犠牲になるのであろうか?後進国で餓死・病死している人達の数は、第一次・第二次世界大戦の犠牲者と比較にならないほどの人数に達している。世界はこれからもこのような社会的弱者から目をそらし続けるのであろうか?

人の意思は時として世界をも大きく動かす。その流れのきっかけを与えるのは一個人の想いであることも少なくは無いが、そのきっかけを社会の潮流に変えるのは当たり前の日常を当たり前に生きる人々の意思である。世界への関心と生きる意志こそがこの世界を良い流れへと導く。どうか無関心というあきらめのもとに、生きる意志を失わないでもらいたい。

2010年8月13日金曜日

ネパール語

最近はできる限り時間を作ってネパール語を覚えることにしている。
ラクサールの孤児院を訪れた際、ネパールに来て1年余りのJICA日本人スタッフがかなり流暢なネパール語を話していたのが直接のきっかけだ。僕の周りにはネパールに来て結構長い時間を過ごしていてもネパール語が話せない人がかなり多い。僕自身、英語を覚えるのにかかった時間と現在の英語力レベルを考えて、これからネパール語を覚えるのは無理だろうと最初からあきらめていた節がある。しかし、彼のブログを読んで一日十時間以上にわたって何ヶ月も勉強していたという件を読み、己の覚悟の甘さを実感した。しばらくブログを更新していなかったのは時間があればネパール語を覚えていたからで、これから先も更新の頻度は少なくなると思う。
このように書いていればそれなりに話せるようになったと勘違いする人も出てくるかもしれないが、僕のネパール語のレベルは費やした時間に比べ、大して上達していない。英語やフランス語のアルファベットを覚えるのに、それほど時間を費やした覚えは無いのだが、ネパール語は初歩的な読み書きが結構難しい。おまけにきちんとした参考書を日本から持ってこなかった。・・・今更ながら日本での準備を怠ったことを後悔している。
取っ掛かりを掴めば、ネパール語は日本語と文法が似ているので上達は早いと言われているが、これがなかなかに難しい。これはあくまで私見であるが、ネパール語は日本語のように文字や発音の簡略化、外来語の取り込みや整理・体系化を怠っているように見受けられる。PCでの入力もWindowsやフォントにバグがあるものが多く、フォントによって出せない文字が結構ある。僕の知っているネパール人でネパール語を普通にPCで使っている人は誰もいない。このままではネパール語は文化的に衰退の道を歩むのではないかと感じているのは僕だけであろうか?私立学校での授業は英語で行われ、携帯の表示やメールもすべて英語である。インターネットでもネパール語に限らず南アジアやアフリカ諸国の言語は非常に少ないように思われる。
僕は文化には多様性が必要だと考えている人間である。あまりに母数が少ない少数民族の言語や文化は統合・吸収されていくのは歴史的な必然だと思うが、自国の言語や文化に誇りと愛情を持つのであれば、単に学校教育を自国語で行うといった単純なことではなく、言語そのものに改良を加え、自国文化の長所を見直し外国文化の長所と融合させ普及に努めなければグローバル化という歴史の流れの中に消えてゆくだろう。世界中の人達が単一言語を話し、ファーストフードやコンビニエンスストアが立ち並ぶ社会は合理的ではあっても面白みにかけると思うのは僕の個人的な感傷であろうか?

2010年7月24日土曜日

ライフサイエンス

近年はES細胞やiPS細胞、細胞の寿命を決めるテロメアの研究も進み、人間の寿命が大幅に延びる可能性が高まっている。何十年後かの未来には不老長寿なども実現する可能性はある。しかし、それは本当に人類に幸福をもたらすものであろうか?
単細胞生物の多くには寿命が無い。栄養と生存環境が整っており、外敵による脅威がなければ永い時を生き続ける。生命に寿命という概念が生まれたのは、およそ15億年前に有性生殖による子孫が生み出され、生命の多様化が生存競争を激化したことによる必然だと言われている。
有性生殖が生まれる前は、細胞が持つDNAの変異とそれに伴う生存競争のみが、ゆるやかな進化を司っていた。しかし、有性生殖が生まれ生命の進化と多様性が爆発的に進み、現代に至る。
生命進化の歴史から読み取れる原則は多様性と適者生存である。人類は地球上でかつて無い繁栄の時代を築いたが、それは他の生命や自然を絶滅や破壊に追いやって良い訳ではない。地球の生命と自然は、極めて長いサイクルで連鎖と循環をしている。数億年にわたって石油や石炭として固定化した炭素資源を百年程度の短期間で使い尽くせば自然のバランスは崩れるに決まっているし、爆発的な人口増加と都市化や工業化は他の生態系を歪める巨大な圧力となる。
そして、これまでに世界で推し進められているグローバル化は、貧富の経済格差を二極化する。世界を押し潰すまでに増加した人類全員に不老長寿の技術が使われることは有り得ないし、強欲で奸智に長けた一部のエリートのみがその様な長命を得たとき、この世界はどのような事が起きるのであろうか?僕にはそれがとてもおぞましいものに思えてならない。
衣食足りて礼節を知るという諺があるが、現代の資本家達の欲望には限度がない。昔見た映画の一節に「お金は肥料のようなもの」という言葉が出てきたことを覚えている。適切な場所に適切な投資や出費をすることで社会は健全に潤う。お金を独占し、豪華な生活や権力を求める人達が増えると社会は腐敗する。そして彼らは自らを高貴なる者などと名乗り労働者を見下し、如何に低い賃金で酷使するかに知恵を絞ることを知性などと思い違いをする。
僕は人間が老い、死を迎えるのは自然なことだと思っている。人間は肉体だけではなく、精神も老いる。僕の両親は二人とも既に他界しているが、僕は自分の母親が老い、死を迎える過程を共に過ごし看取ることで初めて老いというものを実感した。
僕には現代の社会は間違った方向に進んでいるように思えてならない。国際社会での地域格差はますます広がっているし、先進国内でもグローバル化のため、労働者の賃金切り下げや失業率の上昇など問題は深刻化している。政府の債務超過による通貨危機も深刻だ。後進国への金銭的援助は本当に援助が必要な人達の手に届かず、権力者や汚職をする人、金銭的な援助を受けることを目的としたNGOの人件費に消えてゆく。その上、援助を必要としている貧困国での人口増加は止まらず、貧困者の数はますます増えてゆく。
バイオテクノロジーによる不老長寿は、世界で進んでいる格差社会を決定付け、自然との調和や共生を断ち切る、吸血鬼による世界支配のような恐ろしい技術に思えてならない。

2010年7月21日水曜日

カトマンズ市のゴミ処理問題4

カトマンズ市のゴミ処理問題について、市長代理が入院したとかの話で予算が下りなくなり、市の職員は会議に出てこなくなった。
以前、カトマンズ市の腐れ職員はやはりクズだったとブログに記述した事について、知人から注意を受けたが、僕はあの発言を訂正するつもりは無い。
約束は守る。嘘はつかない。自分の仕事には責任を持つ。-人間としてやるべき事をきちんとやってこそ人間としての尊厳は保たれる。約束を4回もすっぽかし、予算書と計画書の提出を1ヶ月以上遅らせて仕事を投げ出してしまった人間に対し、僕は侮蔑の感情を抑える理由を見出せない。
とはいえ、そのおかげで計画を進めやすくなったことには素直に感謝している。市の予算が下りなくとも参加したいと言ってくれた学校は高いモチベーションを持った人達であろうし、計画の舵取りをこちらで取れるようになったこともありがたい。仕事は増えたがこの国を良くする為の努力であるなら苦にはならない。
プラスティックゴミ等の再生工場の見学と指導。ゴミ分別のための手順書作成。コンポスト作成のための手順書作りなどやることは山ほどあるが、ようやくネパールに来て仕事が動き始めたという実感が持てる。一番重要な点は、いかにして子供たちの関心をゴミ処理問題に向け、活動の輪をカトマンズ全市に広めていくかだ。
ある私立学校の協力を得、モデル校として計画を実施することになった。
以下は、その中心となる子供達を集め、組織化するためのステートメントだ。
少し長くなるが読んでみて欲しい。

インバートメント・アンバサダー募集

ネパールはGDPが世界でもっとも少ない最貧国の一つです。けれどもネパールの人達は豊かな心を持っています。それは雄大な自然と動物たちと共に生きる優しい心を持っているからです。この雄大で美しい自然は、世界に誇れる私達の財産です。その美しい自然が、今このカトマンズで失われつつあります。町はゴミで溢れ、多くの車や工場が出す廃棄物が大気や河を汚染しています。
このままゴミ問題を放置すると観光客は減少し、輸出産業の少ないネパールは貧困から抜け出す事ができないでしょう。中国とインドという近い将来世界を動かす超大国に挟まれた私たちは、様々な政治的干渉に苦しむ事となるでしょう。
我々は東洋のスイスを目指すべきだと思うのです。カトマンズを美しい町へと変え、外国人が長期的に生活できる観光都市を目指します。旅行者を増やすことで、外貨を獲得し生活を豊かにします。世界中の国々と仲良くすることによって政治的な干渉から中立を守ります。平和と豊かな自然そして何よりも優しい心を失うことなく、我々子供たちの手によって豊かな未来を築きたいのです。

カトマンズのゴミ問題を解決し、きれいな町へ

ゴミの分別
1.再生可能なゴミを資源として再利用しましょう。
2.生ゴミを肥料に変え、花と緑に溢れる美しい町にしましょう。
3.カトマンズの自然を汚染する問題をみんなで調べ、みんなで解決の方法を考えましょう。

私達の町は私達の手で守らなければなりません。
あなたもこの美しい自然を守る‘インバートメント・アンバサダー’に参加しませんか?

スモーキーマウンテンとスカベンジャー
スモーキー・マウンテン(Smokey Mountain)とは、フィリピンマニラ市北方に位置するスラム街のことです。かつては海岸線に面した一漁村でしたが、1954年に焼却されないゴミの投棄場になりました。それ以来マニラ首都圏からで出たごみが大量に運び込まれ、ゴミの中から廃品回収を行い僅かな日銭を稼ぐ貧民(スカベンジャー)が住み着くようになり、急速にスラム化しました。それら廃棄物の中には人体に良くない物質も多く、病気の人や奇形児の出産率も高まっています。カトマンズ市でもこのまま適切なゴミ処理対策が行われなければ、近い将来同様の惨状を迎えることになります。

Recruitment of Invertment Ambassador

Nepal is one of the world's poorest countries in GDP. But the people of Nepal have a rich spirit and warm heart to co-exist together lively with animals in magnificient nature. This magnificent natural beauty is the fortune that we can be proud of in the world. But now its natural beauty is becoming lost in this Kathmandu. The town is overflowed with garbage, river are polluted in river by factories and air by a lot of cars significantly.
If garbage problems left as it is, tourists visit will be decreased and Nepal can never get out of poverty economy under the current less export-oriented industries. We will suffer from variety of political interference between the world superpower countries in the near future especially China and India.
I think we should aim to Swiss at the east of orient. We can change Kathmandu into a beautiful city, and aims for tourist city in which foreigners live in long-term. As the number of travelers increase, much foreign currency will be earn and people’s life can be enrich. We shall protect from political interference with political neutrality and friendship with countries around the world. Without losing peace, nature, and above all protect the gentle heart, building a wealthy future by children’s own hand.

Let’s resolve Kathmandu’s garbage problem and make a beautiful town

Separation of garbage
1. Let’s re-use the wastes as renewable resources.
2. Let’s turn garbage into compost, and let’s make a beautiful city that full of greenry and flowers.
3. Let’s find out the pollution problems of Kathmandu, and think about how to resolve together.

Our city must be preserved by ourselves.
Why don’t you also participate in 'Invertment Ambassador’ to protect our beautiful nature?

英語は苦手なので、今回はJICAのシニアスタッフとオフィスのスタッフに手伝ってもらった。短い文なので何とかなったが、ネパール語と英語の必要性を認識し、真剣に勉強に取り組むことにした。

2010年7月15日木曜日

プチベジタリアン

ネパールの肉屋では結構ショッキングな光景を目にする事がある。家畜の首が棚に並んでいたり、これから屠殺されるであろうヤギが店の前に繋がれていたりする。ダンパスの村に行った際には歓迎の証に、元気に餌をついばんでいる鶏を捕まえて、我々のために腕を奮って御馳走をしてくれた事もあった。
しかし、実際のところ先進国での動物虐待はネパールの比ではない。ネパールではヤギや鶏が人間と同じ場所で生活をしているが、先進国では人の目に触れないところで虐待と虐殺が行われているだけだ。
僕は以前、犬を飼っていた事があるので、動物にも豊かな感情があることを知っている。そのため、アグリビジネスが企業利益追求のため、家畜を狭い畜舎に閉じ込めて、ストレスをためないよう畜舎内は薄暗くし、薬漬けにしている業者が多いと聞いていたとき、あまりのえげつなさに気分が悪くなったのを覚えている。そして、最近では高級和牛のほとんどが品種改良をしたクローン牛だと聞いたとき、人間のおぞましさに言葉を失った。お金のため、ここまで非道な事をする生き物を僕は他に知らない。悪魔という言葉はまさに人間のためにあるのではないかと疑ったものだ。
だからと言って僕は捕鯨反対や動物保護を訴える気はないし、ベジタリアンになる気もない。ただ、肉類をたくさん食べると、腸内細菌叢でウェルシュ菌等、体に悪い物質を生成バクテリアが増え体に良くないことを知り、健康を損なってまで肉料理を食べる必要も無いと思っているだけだ。
ただ、日本では新鮮な魚料理が食べられた。程度の差に過ぎないが、牛乳や卵、魚位なら僕の良心はそれほど痛まない。しょせん世の中は弱肉強食だと思っているし、人間が生きていく以上、清廉潔白ではいられないと思っている。そして成長期の子供達には肉料理も必要なものだと思っている。
そして意外に思われるかもしれないが、ベジタリアンというのは一般に短命である。また、運動能力についてもバランスの良い食生活を送っている人々に比べ劣る事が多い。タンパク質の量もさることながら、健康な生活を送る充分なミネラルが補給できないのだ。
日本で菜食主義を貫いている人は、是非この点だけは気をつけて欲しい。僕は足りないミネラルはシラジットというアユールヴェーダ系のサプリメントで補っている。シラジットが万能の霊薬だとか、精力剤だとか言う人がいるが、これは実際に服用している体験者として嘘だと思う。成分はヒマラヤの高度3000~5000mの断崖絶壁のところから採取される天然の腐植土と植物性有機物の混合物で豊富なミネラルを含む。こんなものに若返りだの精力剤だのという効果があるはずがない。しかし、ベジタリアンの多いネパールやインドの人達には大きな効果があったに違いない。
アユールヴェーダには非科学的で納得できない部分もあるが、西洋医学にはない健康維持のために必要な古代からの知恵が伝えられえいるように思う。西欧文化の合理主義は病気になった後の治療には極めて効果的だが、人間が健康的で幸せに生きるという点についてはあまり考慮がなされて来なかった。
会社の為・社会の為の仕事といっても、人間にはやってはいけない事や踏み外してはいけない一線があると思う。人間が人間らしく生きるために、悠久の時を自然と共生していくために、今一度人間の生き方というものについて考え直してみたい。